2017年10月18日水曜日

初めての方へ


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ジーザス・コミュニティのウェブページへようこそ!

私たちのホームページを訪問してくださりありがとうございます。
訪問した方々が、キリストを知って、祝福されることを願っています。

主イエ・キリストの愛にあって

2017年10月10日火曜日

生ける水に渇く

生ける水、聖霊に渇いているだろうか?

http://www.calvarykb.org/index.php/words-to-live/281-2017-10-08-15-51-19


もしあなたが神の賜物を知り、
またあなたに水を飲ませてくれと言う者が
誰であるかを知っていたなら、
あなたの方で、その人に求めたことでしょう。
そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。

ヨハネ福音書 4章10節

キリストは、「二つのことを理解したら、あなたの方で生ける水を求めたことでしょう」と言われました。つまり、その二つを理解したら、あなたに生ける水を求める欲求が芽生えると言われたのです。それでは、その2つとは何でしょうか?

第一に、キリストは、あなたが生ける水(聖霊)という贈り物が何であるかを理解できたら、あなたから求めたことでしょう、と言われたました。

第二に、生ける水(聖霊)を与えるのがどんな方かを理解できたら、あなたの方から求めたことでしょう、と言われたのです。

そして、驚くことに、「あなたが求めれば、わたしは与えた」と言われたのです。

キリストは、彼女が五回離婚したことを知っておられました。そして、そのとき彼女がボーイフレンドと同棲していたこともご存知だったのです。

それでも、彼女が求めたのであれば、聖霊を与えたと言われました。

彼女は、六人の男性と一緒になりましたが、それでも彼女の魂の深い部分は満たされてはいませんでした。

キリストは、「わたしが与える水を飲む者は、だれでも決して渇くことがありません。」と言われました。さらに、「それはその人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と言われました。

彼女は、生ける水についての理解は、鈍感で、なかなか消化できませんでしたが、キリストはゆっくりと彼女が意味を理解するのにつき合ってくださいました。

私たちの魂の深い部分を満たすのは生ける水、聖霊です。永遠のいのちへの水とは、神との永遠の関係に不可欠なものです。永遠とは時間を指し、いのちとは生きる質を指します。キリストが、最高の生き方を生きられたのです。

私とあなたが、聖霊を受けない限り、最高の生き方はできないことになります。最高の生き方とは、魂の深いところが満足し、安心し、喜びが溢れるような生き方です。

もしあなたが神の賜物を知り、
またあなたに水を飲ませてくれと言う者が
誰であるかを知っていたなら、
あなたの方で、その人に求めたことでしょう。
そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。

ヨハネ福音書 4章10節


あなたに生ける水を求める欲求が与えられますように祈ります。そのためにもあなたが聖霊について知り、聖霊を与えられる人がどんな方かを知るようになりますようにも祈ります。

このメッセージを下記のリンクから聞くことができます。

2017年9月8日金曜日

◉シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.13 くにおさん

くにおさん リタイヤリー ・ドイツバイエルン州在住)


 JCに来たきっかけ?

なくして、見つけた!? 私たちがJCに来たきっかけは、そんなハプニングからでした。日本到着後、しばらく大田区の友人宅でお世話になった後、武蔵小金井市の借家に引っ越すことになり、それまで通っていた大田区の教会から、小金井市にある教会を推薦されました。

ようやく引っ越しもひと段落、さぁ今日は日曜礼拝、と思いきや、困ったことに教会のメモがどこにも見つかりません。東京にまったく方向感覚も土地勘もない浦島太郎な私たち、気づいたのは真夜中で、前の教会に問い合わすこともままならず、唯一頼みの綱は、ネット検索でした。結果、一駅離れた中央線国分寺駅前に、アメリカのカルバリーチャペルと関係あるJC国分寺があるのを見つけ、まさに、なくして、見つけた!? ハレルヤ!!の心境でした。

深夜のハプニングがきっかけで、JCと巡り合った私たち。日曜礼拝から戻ってしばらくして、あれほど探した行方不明のメモがひょっこり出てきましたが、当然ながら、神の導きに感謝し、夫婦で顔を見合わせ苦笑いしてしまいました。

     JCの何がよかったか?

格式ばらない南カリフォルニアのカルバリーチャペルに長いこと通っていたせいか、まず、フレンドリーな雰囲気と、肩の凝らない親しみやすさが感じられて、よかったです。優しそうな眼差し、ウェルカミングな皆さんの笑顔が、とても印象的でした。

そしていよいよ礼拝が始まり、カリフォルニアを思い起こすような賛美のスタイルと、聖書通読が基本の桜井牧仕のメッセージ。日本語と英語、言葉の違いこそあれ、聖書のみことばと賛美が、しっかりとJCの土台をなしていることが分かり、聖霊に満たされた心の平安と、無条件の愛に包まれていることの喜びが、自然に湧きあがってきて、ここに導かれて本当によかった、と感じました。

       なぜJCに決めたか?

  前途のメモ紛失事件を通じ、JCに導かれていることは気がついていましたが、最初の日曜礼拝のメッセージと、その月催された家庭フェローシップ参加の後、JCが祈りの答えであると夫婦二人で確信、日本滞在中のホームチャーチに決めました。

       それは、神の名で宗教(Religion)に導こうとしている教会ではなく、聖書の教えに忠実で、神との本来の関係(Relationship)に聖霊が導いている教会であること、そのため、霊的成長が期待できる学びの場であること、そして、損得勘定のない隣人愛で繋がった信仰者の集いであること、等が心から納得できたからです。

          JCの推薦できるところ?

・聖書通読を基本に展開する桜井牧仕の分かりやすいメッセージ。飾らず単刀直入な言葉は、あくまで、聖書的かつ実践的、時折厳しい戒めの裏にも、常にキリスト的愛情が。生きる目的をまじめに探している人や、聖書を本気で学びたい人、霊的に成長したい人、などに推薦したいです。

自分自身の場合、解釈が困難な聖書個所を、桜井牧仕が砕いて解き明かす学びを通じ、60歳を過ぎて今だ工事中の私を、そのまま、無条件で愛してくれているイエスキリストとの距離がどんどん近くなり、霊的に成長していくのを自覚できました。

・女性のバイブルスタディ。
   
    男の自分は直接参加したことがないので詳細は分かりかねますが、毎週、桜井夫人が準備されている姉妹たちとの祈りと聖書の学び会に、私のワイフも毎度参加させてもらい、何時も輝いて帰宅する姿を見ているだけで、祝福と感謝でした。そんな間接的な体験からですが、自分の奥さんが、何時も柔和で、若くいてほしいと願う旦那さんがおられましたら、この女性バイブルスタディ参加に奥様を励まされることをおお薦めします。

    実践的な聖書の学び方からは勿論、クリスチャン姉妹の祈りと親しいフェローシップや心配りを通じ、ワイフのみならず、夫の私自身も霊的、精神的な成長を体験し、夫婦間の励まし合いやコミュニケーションが、以前にも増して円滑になったのは、言うまでもありません。


▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? 読みたい方はどうぞ。


◉シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.12 ステーシー



ステーシー
(ドイツ・リタイアリー)

 Stacey (Germany / Retiree)


JCに来たきっかけ /  What was the reason you came to JC?

今回、私たちが、約半年の間、日本に移り住むことになったとき、以前のように霊的に乾いた状態になるのではと危惧しました。というのは、以前、日本に短い間ですが滞在したとき、霊的に干からびた状態になったことがあったからです。
When we moved to Japan for several months we were concerned that, as on shorter trips to Japan, we would become spiritually dry. 
しかし、神は、違うプランを用意してくださっていました.神は、私たちをカルバリー・チャペル国分寺、別名ジーザス・コミュニティに導かれたのです。私たちは、この教会に来る以前、別の教会の人たちから、引越先周辺にある教会をいくつか紹介していただきました。しかし、日曜日を控えた前の晩、その教会のリストを捜しても、どこにも見当たりません。それで、ネット検索で周辺の教会を調べると、なんと驚くことにアメリカのカルバリー・チャペルと提携している教会が、近所にあったのです。私たちは、何十年という間、アメリカで、カルバリー・チャペルに通っていたので、この教会は私たちにとって理想的なものとなりました。
BUT GOD had another plan. We found Calvary Chapel Kokubunji, Jesus Community, through the leading of God. We had a few recommendations for churches from a place we had previously attended, but the night before we were going to go, we couldn’t find the list so we went online to look for the churches. To our surprise we found there was a Calvary Chapel nearby. It turned out to be ideal for us, as we had attended Calvary Chapels in the U.S. for decades.

JCの何がよかったのか / What has been good about JC?

8ヶ月の間、私たちは、その教会の熱心なボーンアゲイン・クリスチャンたちと一緒に、神のことばによって教えられました。神の愛について、神の導きについて、聖霊について教えられ、とても祝福されました。そのような教会ではいつでもそうなように、神が他の兄弟姉妹たちとの絆を与えてくださり、自分たちのホームのように感じることができました。
For the last 8 months we have been blessed by God with good teaching on God’s love and leading, and on the Holy Spirit, together with other enthusiastic born again believers. As is always the case, God gave us a bonding with other church members and we felt right at home. 
私が集った女性のバイブルスタディでは、信仰者たちが、神が日常生活の真ん中で何をしてくださっているかをオープンに分ち合っていました。そこでは、イエス・キリストとともに、どうしたらもっと実践的に生きれるかということについて、みなで一緒に学んでいました。
I also attended the Women’s Bible Study, a group of solid believers who shared openly about what God was doing in their lives. There all of us learned more about the practicalities of life with Jesus Christ. 
私たちが、霊的に乾燥状態になる代わりに、私たちは神の祝福のもとにとどまることができたので、霊的に強められ力づけられました。
Instead of becoming spiritually dry we continued to be spiritually energized. God’s blessings abound.  
この体験を通して思ったことは、私たちが、移り住むとき、神に教会の選択をしていただくことをお任せすることです。
As we move from place to place we hope to always leave the choice of churches up to God. 
  

JCの推薦できるところ / What's something that you can recommend about JC?

日本語を話す信仰者のために、また、神が実際に存在さるかどうかに興味がある方のためにも、私たちはこの教会を推薦したいと思います。
For any Japanese speaker who is a believer, or who has an interest or even wonders if God might be real, we would recommend this church. 

▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? 読みたい方はどうぞ。


2017年6月14日水曜日

主の栄光を歌おう!

ハレルヤ!
まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。
まことに楽しく、賛美はうるわしい。
詩篇147篇1節

 賛美  ワーシップ 礼拝 プレイズ ゴスペル 聖歌 讃美歌


ジーザス・コミュニティで賛美しているプレイズ曲が聴けます。
さらに、コード付きの歌詞カードがダウンロードできます。

少しでも、多くの方に仕えることができればと願っています。
気に入ったらシェアしてあげてください。

2017年2月24日金曜日

全く新しい人生を与える方

全く新しい人生を与える方

 全く新しい人生を与える方




復活されたイエスが、一番最初に現れたのは、12弟子ではなくマグダラのマリヤだった。以前、この女性は7つの悪霊に憑かれて苦しんでいたのだが、キリストが彼女のところに来られ、7つの悪霊を追い出し救ってくださったのだ。

ある人は「マグダラのマリヤはいいなあ!」と思うかもしれない。しかし、イエスが彼女に最初に現れたのは、このマリヤを羨ましく思わせるためではなく、悪霊に支配されていたような者でも解放されること、そのような人々を自由にするために、キリストが来られたことを思い起こすためだ。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』(マタイ9:12)と言われた。キリストは7つもの悪霊に憑かれ、完全に支配されていたような者のために来られたのだ。

そもそもキリストとは、【油注がれた者】という意味だが、何のために油(聖霊)が注がれるのだろうか? 神がイザヤに、どのようなことばを預けられたか見てみよう。(イザヤ61:1〜3)

神である主の霊が、わたしの上にある。
 主はわたしに油をそそぎ
 1)貧しい者に良い知らせを伝えるため
 2)心の傷ついた者をいやすため
 3)捕らわれ人を解放するため
 4)囚人には釈放を告げるため
 5)主の恵みの年を告げるため
(以上の目的で)わたしを遣わされた。

イザヤに預けられたことばを読めば読むほど、マグダラのマリヤを始め、病気や悪霊や罪のために苦しんでいる人たちのためにキリストが来られたのは明らかだ。

「マグダラのマリヤはいいなあ」と羨ましく思わせるために、彼女は登場したのではない。そうではなく、彼女でも癒されるのであれば、「私でも大丈夫かも..」と思わせるためにキリストは来られたのだ。

たとい、あなたがどれだけ心が傷ついていても、「彼女でも癒されたのだから、ひょっとしたら私でも癒してもらえるかも…」と思ってもらうために彼女が登場したのだ。どれほどあなたが何かに捕らわれて閉じ込められていたとしても、「彼女みたいにひどいケースでも助けてもらえたのだから、私も救ってもらえるかも…」と思ってもらうために彼女は登場したのだ。

彼女は、良くしてもらう資格も、ふさわしさも全くなかったのに、キリストは癒しと救いを恵んでくださった。同じように、キリストはあなたにも近づいて来られる。

7つもの悪霊に憑かれ支配されていたマグダラのマリヤ。彼女から7つの悪霊を追い出されたキリスト。彼女は、キリストに救ってもらったので、キリストを心から慕っていた。だからこそ、ローマ兵が警備している墓にリスクを冒してまで、キリストのからだに香油を塗るために出かけて行ったのだ。

同じように、罪(的外れ)に支配されていた私たち。私たちの罪を負って苦しんで死なれたキリスト。信じる者に罪の赦しを与えてくださるキリスト。あなたも、キリストを慕って彼が葬られた墓にまで行くといい。古い自分は死んだだけでなくキリストとともに葬られたのだから。そこでよみがえられたキリストに出会うだろうから。

マグダラのマリヤは、キリストとともに死んで、忌まわしい過去とともに葬られた。もはや彼女が、その過去に生きることのないように、キリストとともに死んで葬られたのだ。

逆に、キリストは彼女に新しい人生をプレゼントされた。彼女が、神が与えられるいのちによって新しい歩みをするために。パウロは次のように言っている。
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、

キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6:4)

よみがえられたキリストに、人類で最初に出会った人、マグダラのマリヤ。彼女の過去は、完全に悪霊に支配されていた。そんな彼女が選ばれた理由。それは、以前の人生がどれほど暗く、社会から見放されている者であっても、キリストは新しい人生を与えられることを明らかにするためだ!

キリストによって神との豊かな関係が与えられ、神に助けられて新しい歩みをするために、キリストはよみがえられた。

私たちも彼女と同様に、よみがえられたキリストに出会い、すべてが新しくなることを体験し、キリストとともに新しく歩むことを神は強く望んでおられる。

2017年1月31日火曜日

神の恵みが分かると、心が安らぐ

 コロサイ人への手紙1章 
http://www.calvarykb.org/index.php?option=com_biblestudy&player=0&view=popup&t=1&mediaid=986&tmpl=component
メッセージを聴きたい方は、上のリンクかアイコンをクリック。

今週から、私たちの教会ではコロサイ人への手紙を学んでいます。私が日曜礼拝においてメッセージした内容に対して、自分で感想を分ち合うのも一風変わっているのは自覚しています。しかし、神が語られたことを書き留めておくことは大切なことなので、この文章を書く過程で明らかになることを願っています。

エペソから直線で西に200キロの山間に、コロサイという町がありました。決して大きな都市ではありませんでしたが、この地方では織物染めで有名な町でした。パウロがこの手紙を書いた後に、大きな地震で壊滅したとも言われています。

パウロは、この町には行ったことがありませんでした。それでは、どのようにしてパウロがコロサイのクリスチャンに宛てて手紙を書くことになったのでしょうか? それは、1章7節に登場するエパフラスが、ローマの牢獄に収監されていたパウロを訪問することから始まったと考えられています。

コロサイのクリスチャンに対する挨拶の中で、「忠実な兄弟たち」というフレーズがあります。コロサイの手紙前半を読むと、「キリストがどういう方か?」ということが一番のテーマであることが理解できます。コロサイの兄弟たちは、聖書の理解と実践において忠実だったと思われます。

コロサイの町は、ガラテヤ地方に隣接しています。ガラテヤ地方の数々の教会は、「律法主義」、または「ユダヤ主義」によって、キリストを信じる信仰に悪影響が及んだ過去がありました。「異邦人は、まず割礼を受けてユダヤ人になってから福音を信じることができる」というような歪んだ教えを持ち込んだユダヤ人クリスチャンたちがいたのです。

それ以外にも、パウロたちが宣べ伝えていないようなキリストを持ち込んだ偽教師たちがいました。エパフラスは、そのような悪影響に対して、どのように対処したらよいかを、パウロと相談したのです。そこで、パウロはコロサイの兄弟姉妹たちに対して、この手紙を書くことにしたのです。

パウロは、「ときどき」ではなく「いつも」コロサイのクリスチャンのために祈っていました。エパフラスも、彼らのためにいつも祈っていました。私たち肉体を着ている人間は、ある人たちのために思いはあっても、その人たちの救いや霊的成長を助けることはできません。ただ祈ることが、相手の救いや成長のために何かをする始まりとなります。パウロとエパフラスは、コロサイのクリスチャンのために祈り、とりなしていたのです。

コロサイのクリスチャンのために祈っていたからこそ、彼らのことで神に感謝することができました。たとえ、パウロが彼らに会ったことがなかったとしても、神の御前でとりなしていたからこそ、彼らが成長したときに神に感謝することができたのです。「私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。」(1:3)私たちも、祈っている人たちのことは、神に感謝することができます。そんなコロサイの兄弟姉妹の成長を感謝していたパウロは、彼らに恵みと平安があるように祈っていました。

ご存知かもしれませんが、パウロは手紙を書くときは、いつでも「恵みと平安」という挨拶から始めます。彼は、必ず、恵みと平安という順番で挨拶を始めます。平安と恵みという順番で書いたことは一度もありません。なぜなら、恵みが理解できるからこそ、平安を味わうことができるからです。

パウロは、恵みは、すぐれて豊かだと宣言しています。どうしたら、それが分かるのでしょうか? その質問に対してパウロは、父なる神の大きな愛によって恵みを理解できると、エペソ人への手紙の中で明らかにしています。前述したエパフラスは、エペソで福音を聞いたと考えられています。パウロは、二年間にわたり毎日、エペソにあるツラノの講堂において、神のことばである福音を語っていました。そこでエパフラスは、キリストの福音に触れたのでしょう。

その当時、パウロがエペソで何を語ったのかは、エペソ人への手紙の内容によって知ることができます。パウロはその手紙の中(2:7)で、次のように解き明かしています。彼の趣旨を要約すると次のようになります。

1) 私たちは罪と罪過の中で、神との関係は死んでいた
2) しかし、あわれみ豊かな神は、大きな愛で、その関係を生かしてくださった
3) その大きな愛とは、イエス・キリストが、私たちの罪のために苦しまれ死んでくださったこと
4) キリストのおかげで、私たちに罪の赦しが与えられた
5) キリストを信じる者は、神との関係が生きるようにしてくださった
6) 神は、ひとり子を与える大きな愛によって、神の恵みはすぐれて豊かであることを明らかにされた
7) あなたに対する神の恵みはすぐれて豊かであることを、神は知って理解して欲しいと望まれている

つまり、神の恵みはすぐれて豊かであることを、最も理解することができるのは、キリストによるのです。神の恵みを理解するとき、キリスト以下の存在では、それがどんなものであれ、キリストというプレゼントほどに神の恵みが優れて豊かであることを理解することできないのです。なぜなら、私たちに、神のひとり子であるキリストをプレゼントされる理由は見つからないからです。王様の一人息子が、悪い領民のために犠牲になって死ぬということは、当たり前のことではありません。有り難いことです。

悪い領民の中には、良いプレゼントを受ける理由は見つかりません。それどころか、彼らは、良いプレゼントを受けるに相応しくも、似つかわしくも、資格もないのです。それにも関わらず良いプレゼントを与えくださる理由は100%与えてくださる神の側にあります。その理由は、父なる神にあるのです。神の性質が恵み深いからです。その神の恵み深い性質は、豊かであり、すぐれているのです。そのことは、ひとり子キリストを与えられた大きな愛によって証明されているのです。

「それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。」(エペソ2:7)この箇所は、少々難しい文章ではありますが、「神のすぐれて豊かな恵みは、キリストによって明らかに示しました!」と言っているのです。

パウロは、ローマのクリスチャンに宛てて書いた手紙の中で、次のように言っています。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32

こんな私でも、神はキリストに拠って良くしてくださることを理解すると、私の心は安心します。もう、私の中に神から良くされる理由を捜さなくてもよいのです。私の中には見つからなくてもいいのです。なぜなら、神がよくしてくださる理由は、神の中にあるのですから。

もう一度、おさらいさせてください。神が私とあなたに良くしてくださる理由とは、神が恵み深いからです。そして、その恵みは、私とあなたに対して、すぐれていて豊かにあるのです。そのことは、神が私とあなたの罪を赦し、神との関係が回復させるたに、神のひとり子イエス・キリストを与えてくださったことによって明らかになった!と、パウロは解き明かしているのです。

良いものを受け取るのに相応しくない私やあなたにでも、良くしてくださることを知って理解すると、心は安心し、魂に平安が来るのです。だからこそ、パウロは手紙の冒頭で、「あなたがたに恵みと平安がありますように」という挨拶から手紙を始めているのです。

あなたに、神の恵みと平安がありますように!

ジーザス・コミュニティ牧仕
桜井 知主夫



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2017年1月24日火曜日

心と思いが、神の平安で守られるために!


                     http://www.calvarykb.org/index.php/words-to-live/268-2017-01-16-16-04-38



あなたがたの願い事を神にしっていただきなさい。
そうすれば、人のすべてにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ人への手紙、4章6〜7節


パウロは、私たちは思い煩う瞬間はあることを認めた上で、思い煩いの中に沈んで行かないために、逆に、心と思いに平和を得るために、次のようにアドバイスしています。

1)まずキリストだけが理由で、神の御前に出られることを感謝しなさい。
2)神と話し合う中で、「何をどうして欲しいのか」を明らかにしなさい。
3)そして、あなたの思い煩いを「こうして欲しいです。」と願いなさい。

そうすれば、神の平安が、あなたと私の心と思いを守るというのが、神の約束です。

1)まずキリストのおかげで、神の御前に出られることを感謝しなさい。
思い煩っているときに、感謝をすることは困難です。しかし、どんなときでも神の御前に出られることを感謝することはできます。

なぜなら、神が私たちをあわれんでくださったからです。私とあなたは永遠に神の御前に出ることができない者でした。それは、私たちが自分勝手だからです。私たちが、自分勝手な善悪の基準にこだわって生きるときに、神の完全な善悪の基準からは外れているのです。神は、赦しなさい、愛しなさいと言われますが、私たちは、神が願われているように神に従うことはありません。そのような私たちの見当外れの生き方に対して、神は怒っておられるのです。そんな私たちは、神の御前で何かを頼めるどころか、御前に出ることすらできません。

聖書は一貫して、神があなたを愛する子どもとして永遠に引き寄せたいと言っています。しかし一方で、あなたが見当違いによって犯して来た態度や言動に対しては、神は怒りを発しておられるとも言っています。この矛盾から、私たち人間を救うために、神は御子イエスを十字架に遣わされたのです。

キリストが、十字架の上で、神の怒りをなだめるために供え物となられたのです。そして、完全に神の怒りをなだめてくださいました。私たちは、神の愛する子どもとして安心して神の御前に出ることができるのです。そこに神の愛があるのです。

このような神の愛に触れるとき、私たちはどんな状況でも感謝することができます。パウロは、キリストの福音を宣べ伝えたゆえに牢獄に入れられていました。彼は、そのような環境でも神に感謝をささげてから、祈ることができたのです。

私たちも、キリストの十字架の愛を思うとき、どんなときでも感謝を捧げるときができます。神の愛する子どもとして、私たちが神の御前に安心して出るために、神はひとり子さえも惜しまずに死に渡してくださったのです。この父なる神に感謝して祈りを始めめることは、どんな状況でもできるのです。

2)神と話し合う中で、「何をどうして欲しいのか」を明らかにしなさい。
私たちが思い煩っているときには、自分の考えがまとまらないのは私だけでしょうか。何を、どこから、どのように考えたらよいのかさえも分からないことが、しばしばあります。

そんなときでさえ、神は助けてくださいます。パウロは、次のように書いています。
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ8:26)

つまり、祈り方でさえ分からないけれど、いったん祈り始めると信仰者の内側に住んでおられる聖霊が、神との対話を助けてくださるというのです。そして、祈る者の内側でうめいてくださり、何をどのように考えたら良いのかも、何をどのように願ったらよいかも教えてくださるのです。
ローマ人への手紙の8章27節で、パウロは次のように続けています。
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
つまり、祈り始めると、聖霊が私たちの思いを助けてくださり、神の心と調和した願いは何かを理解させてくださるのです。何をどのように願えばよいかを神は私たちの心に教えてられます。そして、それを願うことを神は待っておられるのです。

3)そして、あなたの思い煩いを「こうして欲しいです。」と願いなさい。
パウロは、ピリピに住むクリスチャンに向けて書いた手紙の中で、【祈り】と【願い】を明確に分けています。祈るだけではなく、願いなさいと勧めているのです。
祈る中で、聖霊があなたの祈りを助けてくださり、神の願いと調和した願い、つまり、何をどのようにして欲しいかも明らかにしてくださいます。その願いを、祈りの中で「こうして欲しいです」と、神に願うのです。

そうすれば、人のすべてにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

あなたのために祈っています。 
ジーザスコミュニティ国分寺

牧仕:桜井 知主夫