2015年2月24日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.9 Hさんの場合


H(医療関係)
http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/27-h



JCに来たきっかけ

キリストを信じ始めた頃に、近所で教会を探していて、すでにJCに来ている友人に誘われて来ました。


JCの何がよかったのか

来ている方々の雰囲気です。

なぜJCに決めたのか

1)聖書を学べて、霊的に養われるから。
2)来ている方々と近況を分かち合ったり、祈り合ったりすることができるから。

JCの推薦できるところ

聖書に忠実であろうとする点です。


感想by牧仕

聖書を学べて、霊的に養われるから

彼は「聖書を学べて、霊的に養われるから」JCに来ることを決めたと言っています。

みなさんも、どこの教会でもいいですから、
「聖書を学べて、霊的に養われる」ところに行かれるのが断然いいです。

なぜなら、人間の言葉では、霊的に養われることはないからです。

【霊的に養われる】とは、キリストのように成長していくということです。

そのために、キリストは【教会】に、その任務を命じられました。

【教会】のことを、聖書では【キリストのからだ】とも呼んでいます。

この【キリストのからだ】は、互いに愛し合う中で成長していきます。

自分勝手な「愛」ではなくて、【神の愛】で互いに愛し合うのです。

神の愛

【神の愛】は、人間の中にはありません。

しかし、神に【神の愛】を求めるとき、

私たちの心の中に【神の愛】を注いでくださいます。

その【神の愛】によって互いに愛し合うのです。


霊的に養われるには、神のことばを聞く必要がある


そのとき【キリストのからだ=教会】は建て上がっていくのです。

霊的に養われるには、人間の言葉ではなく、神のことばを知る必要があります。

以上のことは、神のことばを知らなければ、一生涯、知ることもなかったのです。

一方で、神のことばを聞いて知ると、霊的に養われ、キリストのように成長していくのです。

祈り

読者のみなさまが、神のことばで養われる教会へと導かれることを祈ります。




▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? 読みたい方はどうぞ。





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  ではなくて、イエス・キリストを。







2015年2月10日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.8 しまかたさん



しまかたさん



JCに来たきっかけ

実家の問題と家族の問題が起きたときに、クリスチャンの友人に相談したら「こういう牧仕がいるから行ってみない」と言われたのがきっかけでした。JCに行った頃、日曜礼拝で語られるマタイの福音書に耳を傾けていました。それを聞いていると「本当だなあ、本当だなあ」と思わされました。「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」「しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイの福音書6章14、15節)

少しずつ、私の、義姉を見下すような言葉遣いや、とても私たちを酷い目に遭わせた実兄の言葉にはただただ反発していた態度が、さらに関係をこじらせてしまったのではないだろうかと、自分を責め始めました。

しかし、聖書のことばに出会い、何よりもまず私が、自分の罪を認め、神に赦しを願わなければ、これから生きていけないと心から思わされ、主のことばを受け入れました。「両親に逆らったことがない人は手を挙げてください」と言われたとき、迷わず私は手を挙げました。しかし、「罪がない人はいない」ということを聞いたときに、自分が思い込んでいたことは間違いだったことを知りました。

JCの何がよかったのか

聖書に書いてあることを素朴に伝えているところ。

なぜJCに決めたのか

出ようとか、やめようと思ったことは1度もありませんでした。

JCの推薦できるところ

ここでキリストを信じたので他の教会と比較することはできませんが、牧仕自身が「私も罪人です」とか「私の中にも、みなさんの中にも神の愛はありません」と、人の肉が反発するようなことでもはっきりと言われるので「これは本当だなあ」と思えます。この大前提のもとに「実を結びましょう」と言われるので「これは本当のことだなあ」と思えるのです。「互いに愛し合われましょう」ではなく「互いに愛し合いましょう」と言われるので素直に取り組めます。


感想by牧仕


神に赦してもらったように、赦しなさい

しまかたさんは、「聖書のことばに出会い、何よりもまず私が、自分の罪を認め、神に赦しを願わなければ、これから生きていけないと心から思わされ、主のことばを受け入れました。」と言われています。

自分が赦される必要があることを知らない人、または、赦された体験のない人は、以下の聖書のことばを実行することは不可能でしょう。

聖書は、「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」と宣言しています。

聖書の中に、罪深い女が登場します。恐らく彼女は、売春婦あるいは不倫の常習者だったのかも知れません。宗教家シモンの家にイエスが訪問されたときのことです。彼女がイエスに会うために、シモンの家に入って来ました。

彼は彼女を毛嫌いして追い出したかったのですが、イエスは次のように言われました。「彼女は、多く愛したので、彼女の多くの罪は赦されている。しかし、少ししか赦されない者は少ししか愛さない」と。

しまかたさんは、実兄たちを恨んでいることが自分に明らかになり、自分にも罪があることを知りました。そして、神が自分の罪のために十字架で死に、赦されたことを知り信じました。

相手の中に、赦す理由は見つかりません。見つかったとしても、次の日にはその理由も消し飛んでしまったりします。

しかし、キリストが十字架で私たちの罪を負ってくださったことが理由であるなら、相手を赦す理由は色あせることはありません。

それに加えて、こんな罪人のために、ひとり子であるキリストを与えるほどに愛してくださったことを知って信じるなら、他者を赦す根拠がぼんやりすることもありません。

このようなことをしてくださるのは、神が恵深い性質であることにだけ原因があります。【恵み】とは、よいものを受け取るのにふさわしくない者であるのに関わらず、よいものを施してくださる性質を指します。

しまかたさんは、自分に負い目のある者を赦す理由を見つけたのです。同時に、神は、しまかたさんに、恨んでいる者を赦す根拠を示されたのです。

私たちが、神からどれほどあなたを愛し、赦されたかを知って、信じて、信頼することができますように。そして、苦々しく思っている相手を赦して、心に平安を迎えることができますように! 




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