2015年1月2日金曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol. 6 どうどうさん



どうどうさん (主婦)

JCに来たきっかけ

夫の転勤で、広島から東京に移って教会を探していたとき、知人からJCのことを少し聞いていたので、JCを探して思い切って 礼拝に出席してみました。礼拝の後、教会を探していることを牧仕にお話しすると意外にも「そうですかぁ~、いい教会が見つかるといいですねぇ。」と言われました。私は、ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていたので、牧仕のこの一言で、私の恐れは一掃されました。逆にこの言葉で、JCに集うことを決めました。



JCの何がよかったのか

JCでは、神のことばを順番に一節ずつ教えるので、聖書を理解できていない私の素晴らしい助けになりました。また、JCのフェローシップの中では「私たちは悪いから(キリストの十字架で)赦された」と認識されているので(もし忘れていても、共に聖書に戻って祈り合うフェローシップが与えられています)。私の内側は隠しているつもりでも、実はバレているという、とても風通しの良い関係だと思います。


なぜJCに決めたのか

今は、また広島に移ってこちらの教会に通っていますが、webのメッセージや、Skypeでの分かち合いや祈り、上京の折のフェローシップを通してJCとの関係は続いています。


JCの推薦できるところ

なかなかJCのような教会はないと思っていますので、もし教会を探していらっしゃるなら、是非一度、訪問してチェックされることをお勧めします。



感想by牧仕

どうどうさん:「取り込まれてしまうのでは!?」

どうどうさんは、「ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていた」と、言っています。今から分ち合うことは、素朴に思っていることですが、神から教会を任されている側からすると、新しく人が加わるのはとても嬉しいことだと思います。しかしその思いが行き過ぎて「取り込む」という思いによって私たちが動くときには、聖霊の思いに調和しなくなります。これは自戒の念を込めて言うのですが、大切なことは「どのように神が、その人を導いているのか?」であって、私やあなたが、新しく来られた方をどうしたいかではないということです。神の思いと調和しないと、せっかくその人が教会に加わったとしても、その人と教会、両者にとって益とはならないでしょう。しかし、神の思いと一致したときには、その人は教会(そこに自発的に参加している人たち)にとって祝福となります。どうどうさんは、そのときから今に至るまで、私たちにとって祝福とされています。神をほめたたえます! 主に感謝! 



しかし【主】よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。詩 69:13 




▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? を読むことができます。


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  ではなくて、イエス・キリストを。

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