2015年12月29日火曜日

大きな神の愛と赦し、イエス・キリスト!@CELEO国分寺

グッドニュース! GOOD NEWS!  


去る12月23日(水)に、国分寺駅ビルCELEOにて、クリスマスのJAZZゴスペルコンサートが開かれました。そこで、12分間「神が、ひとり子を与えるほどに、そこに来られたおひとりお一人を愛しておられる」ことを伝えることができました。


イエス・キリストの十字かと復活、そして自分の罪を認め、神に的を射た生き方をするために助けて求める、悔い改めることについて短くですが伝える機会に恵まれました。


視聴してくださる方は、以上の画像かリンクをクリックしてください。上のリンクを観ることができない場合は、下のリンクをお使いください。よろしくお願い申し上げます。


メッセージの中で訂正があります。(坂本龍馬が暗殺されたのは池田屋ではなく近江屋でした。慎んで訂正致します。)



神があなたを、大きな愛で、愛しておられる。そのことが理解できますように!
あなたが忙しいその手をしばし止めて、神が与えるよきしらせ、グッドニュースに耳を傾け、神の恵みグッドニュースを聞いて信じることができるように祈っています。


ジーザス・コミュニティ国分寺牧仕

桜井 知主夫

2015年12月7日月曜日

教会紹介コーナー シリーズ Vol.1《遠慮なく Q&A》

新しいウェブページに《遠慮なくQ&A》ができました。

【ほのぼの篇】【レギュラー篇】【激辛篇】【信仰篇】


クリスチャンではない人たちが「キリスト教会」について、尋ねてみたい質問はあるけれども「聞くのは怖い」「敷居が高い」または「面倒くさそうだ」というために、このコーナーはあります。

一方で、クリスチャンの人たちが「他の教会は、あれこれ、どうしてるんだろう?」ということを尋ねてみたいけれど、これまた「誰にも、こんなこと聞きづらい」または「面倒になりそうだ」というためにも、このコーナーはあります。

ぜひ一度、読んでみください。そして偏見や先入観から解放されて、キリストがすっきりと見えるところに立つことができますように!

We added "Please don't hesitate to ask! Q&A" onto our Website so that even though many reserved Japanese people out there would know and understand what's the sound doctrine and healthy style of church government.




2015年12月2日水曜日

新しいホームページへようこそ!

こちらからどうぞ ▷http://calvarykb.org 
新しいホームページが出来上がりました!
このページにたどり着いた方が、
キリストにある神の愛を体験できるように、
祈ります。

Welcome to our New Website!! 
We pray for those end up this page 
so that they may know the Love of God in Christ 
and make Him and His Love known!  

2015年5月11日月曜日

◉シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.10 しずかさん



しずかちゃん (看護士)

http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/before-jc/39-shizuka

JCに来たきっかけ

JCに来る前の私は、まさに頼る存在を失っていました。神は、日曜日だけでなく、現実の生活の中で生きておられる方だということを知ることができる教会を求めてJCに通い始めました。

JCの何がよかったのか

JCでは、聖書の創世記から順に「神とはどういう方か」「私に何をしてくださったのか」を学ぶチャンスがたくさんあり、神への信頼が増しました。具体的に神を愛するとは「神を一番に信頼して、イエス・キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと」だと知りました。以前は、人を恐れ、自分の正しさだけを元手に人間関係を築こうとしていました。そんな私の不自由な生き方が変えられつつあります。神を愛することを根本的にできない全く悪い私だからこそ、キリストが十字架で罪を贖ってくださった! そして神は、恵みによって、聖霊を私の内に住まわせてくださったことを知ってとても安心しました。だから、できないことを隠さないで認めて「助けて!」と祈り、神を待つ姿勢を見ることができます。

なぜJCに決めたのか

1)JCには具体的に愛し合うことを学ぶ場があります。
2)牧仕は不完全ながらも、聖書のことばと祈りで仕えてくれます。
3)牧仕と奥さんもスタッフもともに、神に信頼し従おうと腹をくくり、JCの多くの人が神を知るために忍耐と親切を尽くしてくれています。
4)牧仕自身も正直に弱さも分かち合います。
5)牧仕だけでなく、他の仲間も生活の具体的な必要を分かち合います。
6)聖書のことばを信頼して、互いに愛し合う方向へと、神に願い求めることを励まし合えます。

JCの推薦できるところ

1)人に頼るのではなく、神への信頼関係が深まっていくところ。
2)お互いの関係も、神によって建て上げられていくのが励まされるところ。
3)誰が偉いのでもなく、ただ「神が良くしてくださったんだ」と神に感謝が帰るところ。

神がどういう方かを知りたい方は、ぜひいらしてみてください。

感想 by 牧仕

さらに私たちが、
キリストの愛を知り
キリストを愛し
キリストが命じられたように、互いに愛し合い
キリストにあって、父なる神に栄光が帰りますように!






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2015年2月24日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.9 Hさんの場合


H(医療関係)
http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/27-h



JCに来たきっかけ

キリストを信じ始めた頃に、近所で教会を探していて、すでにJCに来ている友人に誘われて来ました。


JCの何がよかったのか

来ている方々の雰囲気です。

なぜJCに決めたのか

1)聖書を学べて、霊的に養われるから。
2)来ている方々と近況を分かち合ったり、祈り合ったりすることができるから。

JCの推薦できるところ

聖書に忠実であろうとする点です。


感想by牧仕

聖書を学べて、霊的に養われるから

彼は「聖書を学べて、霊的に養われるから」JCに来ることを決めたと言っています。

みなさんも、どこの教会でもいいですから、
「聖書を学べて、霊的に養われる」ところに行かれるのが断然いいです。

なぜなら、人間の言葉では、霊的に養われることはないからです。

【霊的に養われる】とは、キリストのように成長していくということです。

そのために、キリストは【教会】に、その任務を命じられました。

【教会】のことを、聖書では【キリストのからだ】とも呼んでいます。

この【キリストのからだ】は、互いに愛し合う中で成長していきます。

自分勝手な「愛」ではなくて、【神の愛】で互いに愛し合うのです。

神の愛

【神の愛】は、人間の中にはありません。

しかし、神に【神の愛】を求めるとき、

私たちの心の中に【神の愛】を注いでくださいます。

その【神の愛】によって互いに愛し合うのです。


霊的に養われるには、神のことばを聞く必要がある


そのとき【キリストのからだ=教会】は建て上がっていくのです。

霊的に養われるには、人間の言葉ではなく、神のことばを知る必要があります。

以上のことは、神のことばを知らなければ、一生涯、知ることもなかったのです。

一方で、神のことばを聞いて知ると、霊的に養われ、キリストのように成長していくのです。

祈り

読者のみなさまが、神のことばで養われる教会へと導かれることを祈ります。




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2015年2月10日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.8 しまかたさん



しまかたさん



JCに来たきっかけ

実家の問題と家族の問題が起きたときに、クリスチャンの友人に相談したら「こういう牧仕がいるから行ってみない」と言われたのがきっかけでした。JCに行った頃、日曜礼拝で語られるマタイの福音書に耳を傾けていました。それを聞いていると「本当だなあ、本当だなあ」と思わされました。「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」「しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイの福音書6章14、15節)

少しずつ、私の、義姉を見下すような言葉遣いや、とても私たちを酷い目に遭わせた実兄の言葉にはただただ反発していた態度が、さらに関係をこじらせてしまったのではないだろうかと、自分を責め始めました。

しかし、聖書のことばに出会い、何よりもまず私が、自分の罪を認め、神に赦しを願わなければ、これから生きていけないと心から思わされ、主のことばを受け入れました。「両親に逆らったことがない人は手を挙げてください」と言われたとき、迷わず私は手を挙げました。しかし、「罪がない人はいない」ということを聞いたときに、自分が思い込んでいたことは間違いだったことを知りました。

JCの何がよかったのか

聖書に書いてあることを素朴に伝えているところ。

なぜJCに決めたのか

出ようとか、やめようと思ったことは1度もありませんでした。

JCの推薦できるところ

ここでキリストを信じたので他の教会と比較することはできませんが、牧仕自身が「私も罪人です」とか「私の中にも、みなさんの中にも神の愛はありません」と、人の肉が反発するようなことでもはっきりと言われるので「これは本当だなあ」と思えます。この大前提のもとに「実を結びましょう」と言われるので「これは本当のことだなあ」と思えるのです。「互いに愛し合われましょう」ではなく「互いに愛し合いましょう」と言われるので素直に取り組めます。


感想by牧仕


神に赦してもらったように、赦しなさい

しまかたさんは、「聖書のことばに出会い、何よりもまず私が、自分の罪を認め、神に赦しを願わなければ、これから生きていけないと心から思わされ、主のことばを受け入れました。」と言われています。

自分が赦される必要があることを知らない人、または、赦された体験のない人は、以下の聖書のことばを実行することは不可能でしょう。

聖書は、「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」と宣言しています。

聖書の中に、罪深い女が登場します。恐らく彼女は、売春婦あるいは不倫の常習者だったのかも知れません。宗教家シモンの家にイエスが訪問されたときのことです。彼女がイエスに会うために、シモンの家に入って来ました。

彼は彼女を毛嫌いして追い出したかったのですが、イエスは次のように言われました。「彼女は、多く愛したので、彼女の多くの罪は赦されている。しかし、少ししか赦されない者は少ししか愛さない」と。

しまかたさんは、実兄たちを恨んでいることが自分に明らかになり、自分にも罪があることを知りました。そして、神が自分の罪のために十字架で死に、赦されたことを知り信じました。

相手の中に、赦す理由は見つかりません。見つかったとしても、次の日にはその理由も消し飛んでしまったりします。

しかし、キリストが十字架で私たちの罪を負ってくださったことが理由であるなら、相手を赦す理由は色あせることはありません。

それに加えて、こんな罪人のために、ひとり子であるキリストを与えるほどに愛してくださったことを知って信じるなら、他者を赦す根拠がぼんやりすることもありません。

このようなことをしてくださるのは、神が恵深い性質であることにだけ原因があります。【恵み】とは、よいものを受け取るのにふさわしくない者であるのに関わらず、よいものを施してくださる性質を指します。

しまかたさんは、自分に負い目のある者を赦す理由を見つけたのです。同時に、神は、しまかたさんに、恨んでいる者を赦す根拠を示されたのです。

私たちが、神からどれほどあなたを愛し、赦されたかを知って、信じて、信頼することができますように。そして、苦々しく思っている相手を赦して、心に平安を迎えることができますように! 




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2015年1月15日木曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.7もえちゃん


もえちゃん (バレエダンサー)


JCに来たきっかけ


私がこの教会に来るきっかけになったのは、知主夫さんがメッセージをしている家庭集会でした。その頃の私は、仕事に困難を覚えて身体が重く、心のバランスも崩れていました。そこでメッセージを聞いていくうちに、心に隠れているプライドやグッと握り閉めているこだわりが大きいことに気づかされました。「自分勝手な基準や思い煩いによって疲れてしまっていたんだと…。」「もう、自分の力ではできないから、背伸びをせずに、ありのままの自分で神に力を求めてみよう!!」「もっと神のことばを聞き続け、自分の内側をクリアにしたい」と思いJCに来ました。


JCの何がよかったのか

イエスキリストをかしらとした一人一人が、からだの一部として歩んでいることが、とても伝わってきました。賛美のとき、手を広げ神様に心から捧げているのを見て涙が溢れました。



なぜJCに決めたのか

人の言葉ではなく、神のことばで祈り励まし合うことができるからです。また、みんながイエスキリストのからだの一部として、父なる神を信じ、聖霊の力を求めて歩んでいるからです。



JCの推薦できるところ

礼拝やバイブルスタディの他に、季節ごとの外でのフェローシップやシングルウィメンズやヤング社会人、ファミリーフェローシップなど交わりのときが沢山あるので、とても励まされます。





感想by牧仕



プライドについて

もえちゃんは、次のように言っています。

「そこでメッセージを聞いていくうちに、心に隠れているプライドやグッと握り閉めているコダワリが大きいことに気づかされました。」


「もう、自分の力ではできないから、背伸びをせずに、ありのままの自分で神に力を求めてみよう!!」


「もっと神のことばを聞き続け、自分の内側をクリアにしたい」と思いJCに来ました。



ここからは、牧仕の私の感想ですが、


プライドや自分勝手なコダワリが働くと、自分の等身大からかけ離れて、背伸びした自分を演じることになります。


自分の等身大を、ありのままに認める。これは、簡単なようで大変難しい。というか不可能です。自分の中にマイナスというか汚いものがない人間など存在しないからです。


生きていれば、否定的なことを言われたり、否定的な評価をされることがあります。それを押し返すように、肯定的な「良いとこ探し」をするように促されている自分がいるのではないでしょうか。


「良いとこ探し」を止めてしまったら、自分は終わってしまうという恐怖心に駆られて、否定的な評価から逃れるように「良いとこ探し」に邁進する。当然、私たちのプライドは、「良いとこ探し」を応援します。


しかし、冷静になって考えてみれば、どんな人格者でも怒ったり、妬んだり、恨んだり、高慢だったり、性的欲求をコントロールできなかったり、えこひいきをしたり、見せかけたりします。そうです、どんな人であっても、以上の点で完全な人など存在しません。


現実は、そうであるのにも関わらず、私たちは良い人間を装うとする。私たちのプライドは、思いっきり装うとするのを応援します。


しかし装う自分を、自他ともに受け入れようとすると、仮装の下にある本来の自分との差が大きくなり、心休まることはありません。逆に、その状態から逃れるようにして、プライド満たし続けて、自分を安定させようとします。


以上のようなことを繰り返しても、魂に安らぎは訪れることは決してないのです。


しかし神は、汚い偽装した「良い者」が暴かれたとしても、そのありのままの私たちを、キリストにあって心から受け入れてくださいます。


キリストは、次のように言われました。「だれでも疲れて重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげよう。」


また、次のように言われました。「わたしは優しくへりくだっているから、わたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすれば、魂にやすらぎがきます。」


キリストは、私たちの汚さや、完全な性質から外れているもの、つまり罪を十字架で苦しんで負われました。この方にあって、私たちはありのままに、神に受けいられるのです。


そして、下駄を履かせて背伸びしたところからではなく、ありのままの情けない状態から成長するように助けてくださるのです。神は、自分や他者を苦しめる悪いこところを、「そのままでよい」とは言われません。逆に、その悪いところを赦し、きよめて、あるいは癒して、成長させてくださいます。


神が、ありのままに受け入れてくださるとは、以上のような意味で、受け入れてくださるのです。そのように受け入てくださったことを知ったとき、心の底から安らぐのです。「ああ、よかったありのままに受け入れられるって、こういうことだったのか」と。



人の言葉でなく、神のことばで励まし合い、聖霊の力を求めている



もえちゃんは、次のように言っています。

「人の言葉ではなく、神のことばで祈り励まし合うことができるからです。また、みんながイエスキリストのからだの一部として、父なる神を信じ、聖霊の力を求めて歩んでいるからです。」



ここからは、牧仕の私の感想ですが、



人の言葉には限界があります。なぜなら、相手のことを完全に理解している人など存在しないからです。しかし、お互いに理解しようと努めるのは当然のことです。


それでも、完全に他者を理解できる人など存在しません。しかし一方で、神は、私たちを完全に理解されています。


その方のことばは、私たちの魂や霊や心を強め養い育てるのです。この方のことばで、お互いに励ますのが、当然といえば当然のことですが、一番励まされることになります。








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2015年1月2日金曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol. 6 どうどうさん



どうどうさん (主婦)

JCに来たきっかけ

夫の転勤で、広島から東京に移って教会を探していたとき、知人からJCのことを少し聞いていたので、JCを探して思い切って 礼拝に出席してみました。礼拝の後、教会を探していることを牧仕にお話しすると意外にも「そうですかぁ~、いい教会が見つかるといいですねぇ。」と言われました。私は、ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていたので、牧仕のこの一言で、私の恐れは一掃されました。逆にこの言葉で、JCに集うことを決めました。



JCの何がよかったのか

JCでは、神のことばを順番に一節ずつ教えるので、聖書を理解できていない私の素晴らしい助けになりました。また、JCのフェローシップの中では「私たちは悪いから(キリストの十字架で)赦された」と認識されているので(もし忘れていても、共に聖書に戻って祈り合うフェローシップが与えられています)。私の内側は隠しているつもりでも、実はバレているという、とても風通しの良い関係だと思います。


なぜJCに決めたのか

今は、また広島に移ってこちらの教会に通っていますが、webのメッセージや、Skypeでの分かち合いや祈り、上京の折のフェローシップを通してJCとの関係は続いています。


JCの推薦できるところ

なかなかJCのような教会はないと思っていますので、もし教会を探していらっしゃるなら、是非一度、訪問してチェックされることをお勧めします。



感想by牧仕

どうどうさん:「取り込まれてしまうのでは!?」

どうどうさんは、「ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていた」と、言っています。今から分ち合うことは、素朴に思っていることですが、神から教会を任されている側からすると、新しく人が加わるのはとても嬉しいことだと思います。しかしその思いが行き過ぎて「取り込む」という思いによって私たちが動くときには、聖霊の思いに調和しなくなります。これは自戒の念を込めて言うのですが、大切なことは「どのように神が、その人を導いているのか?」であって、私やあなたが、新しく来られた方をどうしたいかではないということです。神の思いと調和しないと、せっかくその人が教会に加わったとしても、その人と教会、両者にとって益とはならないでしょう。しかし、神の思いと一致したときには、その人は教会(そこに自発的に参加している人たち)にとって祝福となります。どうどうさんは、そのときから今に至るまで、私たちにとって祝福とされています。神をほめたたえます! 主に感謝! 



しかし【主】よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。詩 69:13 




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