2015年2月24日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.9 Hさんの場合


H(医療関係)
http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/27-h



JCに来たきっかけ

キリストを信じ始めた頃に、近所で教会を探していて、すでにJCに来ている友人に誘われて来ました。


JCの何がよかったのか

来ている方々の雰囲気です。

なぜJCに決めたのか

1)聖書を学べて、霊的に養われるから。
2)来ている方々と近況を分かち合ったり、祈り合ったりすることができるから。

JCの推薦できるところ

聖書に忠実であろうとする点です。


感想by牧仕

聖書を学べて、霊的に養われるから

彼は「聖書を学べて、霊的に養われるから」JCに来ることを決めたと言っています。

みなさんも、どこの教会でもいいですから、
「聖書を学べて、霊的に養われる」ところに行かれるのが断然いいです。

なぜなら、人間の言葉では、霊的に養われることはないからです。

【霊的に養われる】とは、キリストのように成長していくということです。

そのために、キリストは【教会】に、その任務を命じられました。

【教会】のことを、聖書では【キリストのからだ】とも呼んでいます。

この【キリストのからだ】は、互いに愛し合う中で成長していきます。

自分勝手な「愛」ではなくて、【神の愛】で互いに愛し合うのです。

神の愛

【神の愛】は、人間の中にはありません。

しかし、神に【神の愛】を求めるとき、

私たちの心の中に【神の愛】を注いでくださいます。

その【神の愛】によって互いに愛し合うのです。


霊的に養われるには、神のことばを聞く必要がある


そのとき【キリストのからだ=教会】は建て上がっていくのです。

霊的に養われるには、人間の言葉ではなく、神のことばを知る必要があります。

以上のことは、神のことばを知らなければ、一生涯、知ることもなかったのです。

一方で、神のことばを聞いて知ると、霊的に養われ、キリストのように成長していくのです。

祈り

読者のみなさまが、神のことばで養われる教会へと導かれることを祈ります。




▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? 読みたい方はどうぞ。





               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。







2015年2月10日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.8 しまかたさん



しまかたさん



JCに来たきっかけ

実家の問題と家族の問題が起きたときに、クリスチャンの友人に相談したら「こういう牧仕がいるから行ってみない」と言われたのがきっかけでした。JCに行った頃、日曜礼拝で語られるマタイの福音書に耳を傾けていました。それを聞いていると「本当だなあ、本当だなあ」と思わされました。「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」「しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイの福音書6章14、15節)

少しずつ、私の、義姉を見下すような言葉遣いや、とても私たちを酷い目に遭わせた実兄の言葉にはただただ反発していた態度が、さらに関係をこじらせてしまったのではないだろうかと、自分を責め始めました。

しかし、聖書のことばに出会い、何よりもまず私が、自分の罪を認め、神に赦しを願わなければ、これから生きていけないと心から思わされ、主のことばを受け入れました。「両親に逆らったことがない人は手を挙げてください」と言われたとき、迷わず私は手を挙げました。しかし、「罪がない人はいない」ということを聞いたときに、自分が思い込んでいたことは間違いだったことを知りました。

JCの何がよかったのか

聖書に書いてあることを素朴に伝えているところ。

なぜJCに決めたのか

出ようとか、やめようと思ったことは1度もありませんでした。

JCの推薦できるところ

ここでキリストを信じたので他の教会と比較することはできませんが、牧仕自身が「私も罪人です」とか「私の中にも、みなさんの中にも神の愛はありません」と、人の肉が反発するようなことでもはっきりと言われるので「これは本当だなあ」と思えます。この大前提のもとに「実を結びましょう」と言われるので「これは本当のことだなあ」と思えるのです。「互いに愛し合われましょう」ではなく「互いに愛し合いましょう」と言われるので素直に取り組めます。


感想by牧仕


神に赦してもらったように、赦しなさい

しまかたさんは、「聖書のことばに出会い、何よりもまず私が、自分の罪を認め、神に赦しを願わなければ、これから生きていけないと心から思わされ、主のことばを受け入れました。」と言われています。

自分が赦される必要があることを知らない人、または、赦された体験のない人は、以下の聖書のことばを実行することは不可能でしょう。

聖書は、「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」と宣言しています。

聖書の中に、罪深い女が登場します。恐らく彼女は、売春婦あるいは不倫の常習者だったのかも知れません。宗教家シモンの家にイエスが訪問されたときのことです。彼女がイエスに会うために、シモンの家に入って来ました。

彼は彼女を毛嫌いして追い出したかったのですが、イエスは次のように言われました。「彼女は、多く愛したので、彼女の多くの罪は赦されている。しかし、少ししか赦されない者は少ししか愛さない」と。

しまかたさんは、実兄たちを恨んでいることが自分に明らかになり、自分にも罪があることを知りました。そして、神が自分の罪のために十字架で死に、赦されたことを知り信じました。

相手の中に、赦す理由は見つかりません。見つかったとしても、次の日にはその理由も消し飛んでしまったりします。

しかし、キリストが十字架で私たちの罪を負ってくださったことが理由であるなら、相手を赦す理由は色あせることはありません。

それに加えて、こんな罪人のために、ひとり子であるキリストを与えるほどに愛してくださったことを知って信じるなら、他者を赦す根拠がぼんやりすることもありません。

このようなことをしてくださるのは、神が恵深い性質であることにだけ原因があります。【恵み】とは、よいものを受け取るのにふさわしくない者であるのに関わらず、よいものを施してくださる性質を指します。

しまかたさんは、自分に負い目のある者を赦す理由を見つけたのです。同時に、神は、しまかたさんに、恨んでいる者を赦す根拠を示されたのです。

私たちが、神からどれほどあなたを愛し、赦されたかを知って、信じて、信頼することができますように。そして、苦々しく思っている相手を赦して、心に平安を迎えることができますように! 




▽他の人たちがどうしてJCにしたのか?を読むことができます。


               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。




2015年1月15日木曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.7もえちゃん


もえちゃん (バレエダンサー)


JCに来たきっかけ


私がこの教会に来るきっかけになったのは、知主夫さんがメッセージをしている家庭集会でした。その頃の私は、仕事に困難を覚えて身体が重く、心のバランスも崩れていました。そこでメッセージを聞いていくうちに、心に隠れているプライドやグッと握り閉めているこだわりが大きいことに気づかされました。「自分勝手な基準や思い煩いによって疲れてしまっていたんだと…。」「もう、自分の力ではできないから、背伸びをせずに、ありのままの自分で神に力を求めてみよう!!」「もっと神のことばを聞き続け、自分の内側をクリアにしたい」と思いJCに来ました。


JCの何がよかったのか

イエスキリストをかしらとした一人一人が、からだの一部として歩んでいることが、とても伝わってきました。賛美のとき、手を広げ神様に心から捧げているのを見て涙が溢れました。



なぜJCに決めたのか

人の言葉ではなく、神のことばで祈り励まし合うことができるからです。また、みんながイエスキリストのからだの一部として、父なる神を信じ、聖霊の力を求めて歩んでいるからです。



JCの推薦できるところ

礼拝やバイブルスタディの他に、季節ごとの外でのフェローシップやシングルウィメンズやヤング社会人、ファミリーフェローシップなど交わりのときが沢山あるので、とても励まされます。





感想by牧仕



プライドについて

もえちゃんは、次のように言っています。

「そこでメッセージを聞いていくうちに、心に隠れているプライドやグッと握り閉めているコダワリが大きいことに気づかされました。」


「もう、自分の力ではできないから、背伸びをせずに、ありのままの自分で神に力を求めてみよう!!」


「もっと神のことばを聞き続け、自分の内側をクリアにしたい」と思いJCに来ました。



ここからは、牧仕の私の感想ですが、


プライドや自分勝手なコダワリが働くと、自分の等身大からかけ離れて、背伸びした自分を演じることになります。


自分の等身大を、ありのままに認める。これは、簡単なようで大変難しい。というか不可能です。自分の中にマイナスというか汚いものがない人間など存在しないからです。


生きていれば、否定的なことを言われたり、否定的な評価をされることがあります。それを押し返すように、肯定的な「良いとこ探し」をするように促されている自分がいるのではないでしょうか。


「良いとこ探し」を止めてしまったら、自分は終わってしまうという恐怖心に駆られて、否定的な評価から逃れるように「良いとこ探し」に邁進する。当然、私たちのプライドは、「良いとこ探し」を応援します。


しかし、冷静になって考えてみれば、どんな人格者でも怒ったり、妬んだり、恨んだり、高慢だったり、性的欲求をコントロールできなかったり、えこひいきをしたり、見せかけたりします。そうです、どんな人であっても、以上の点で完全な人など存在しません。


現実は、そうであるのにも関わらず、私たちは良い人間を装うとする。私たちのプライドは、思いっきり装うとするのを応援します。


しかし装う自分を、自他ともに受け入れようとすると、仮装の下にある本来の自分との差が大きくなり、心休まることはありません。逆に、その状態から逃れるようにして、プライド満たし続けて、自分を安定させようとします。


以上のようなことを繰り返しても、魂に安らぎは訪れることは決してないのです。


しかし神は、汚い偽装した「良い者」が暴かれたとしても、そのありのままの私たちを、キリストにあって心から受け入れてくださいます。


キリストは、次のように言われました。「だれでも疲れて重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげよう。」


また、次のように言われました。「わたしは優しくへりくだっているから、わたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすれば、魂にやすらぎがきます。」


キリストは、私たちの汚さや、完全な性質から外れているもの、つまり罪を十字架で苦しんで負われました。この方にあって、私たちはありのままに、神に受けいられるのです。


そして、下駄を履かせて背伸びしたところからではなく、ありのままの情けない状態から成長するように助けてくださるのです。神は、自分や他者を苦しめる悪いこところを、「そのままでよい」とは言われません。逆に、その悪いところを赦し、きよめて、あるいは癒して、成長させてくださいます。


神が、ありのままに受け入れてくださるとは、以上のような意味で、受け入れてくださるのです。そのように受け入てくださったことを知ったとき、心の底から安らぐのです。「ああ、よかったありのままに受け入れられるって、こういうことだったのか」と。



人の言葉でなく、神のことばで励まし合い、聖霊の力を求めている



もえちゃんは、次のように言っています。

「人の言葉ではなく、神のことばで祈り励まし合うことができるからです。また、みんながイエスキリストのからだの一部として、父なる神を信じ、聖霊の力を求めて歩んでいるからです。」



ここからは、牧仕の私の感想ですが、



人の言葉には限界があります。なぜなら、相手のことを完全に理解している人など存在しないからです。しかし、お互いに理解しようと努めるのは当然のことです。


それでも、完全に他者を理解できる人など存在しません。しかし一方で、神は、私たちを完全に理解されています。


その方のことばは、私たちの魂や霊や心を強め養い育てるのです。この方のことばで、お互いに励ますのが、当然といえば当然のことですが、一番励まされることになります。








▽他の人たちがどうしてJCにしたのか?を読むことができます。



               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。



2015年1月2日金曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol. 6 どうどうさん



どうどうさん (主婦)

JCに来たきっかけ

夫の転勤で、広島から東京に移って教会を探していたとき、知人からJCのことを少し聞いていたので、JCを探して思い切って 礼拝に出席してみました。礼拝の後、教会を探していることを牧仕にお話しすると意外にも「そうですかぁ~、いい教会が見つかるといいですねぇ。」と言われました。私は、ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていたので、牧仕のこの一言で、私の恐れは一掃されました。逆にこの言葉で、JCに集うことを決めました。



JCの何がよかったのか

JCでは、神のことばを順番に一節ずつ教えるので、聖書を理解できていない私の素晴らしい助けになりました。また、JCのフェローシップの中では「私たちは悪いから(キリストの十字架で)赦された」と認識されているので(もし忘れていても、共に聖書に戻って祈り合うフェローシップが与えられています)。私の内側は隠しているつもりでも、実はバレているという、とても風通しの良い関係だと思います。


なぜJCに決めたのか

今は、また広島に移ってこちらの教会に通っていますが、webのメッセージや、Skypeでの分かち合いや祈り、上京の折のフェローシップを通してJCとの関係は続いています。


JCの推薦できるところ

なかなかJCのような教会はないと思っていますので、もし教会を探していらっしゃるなら、是非一度、訪問してチェックされることをお勧めします。



感想by牧仕

どうどうさん:「取り込まれてしまうのでは!?」

どうどうさんは、「ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていた」と、言っています。今から分ち合うことは、素朴に思っていることですが、神から教会を任されている側からすると、新しく人が加わるのはとても嬉しいことだと思います。しかしその思いが行き過ぎて「取り込む」という思いによって私たちが動くときには、聖霊の思いに調和しなくなります。これは自戒の念を込めて言うのですが、大切なことは「どのように神が、その人を導いているのか?」であって、私やあなたが、新しく来られた方をどうしたいかではないということです。神の思いと調和しないと、せっかくその人が教会に加わったとしても、その人と教会、両者にとって益とはならないでしょう。しかし、神の思いと一致したときには、その人は教会(そこに自発的に参加している人たち)にとって祝福となります。どうどうさんは、そのときから今に至るまで、私たちにとって祝福とされています。神をほめたたえます! 主に感謝! 



しかし【主】よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。詩 69:13 




▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? を読むことができます。


               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。

2014年12月16日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol. 5 おどちゃん

 おどちゃん(米軍士官妻・看護士)

http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/far/38-odo


JCに来たきっかけ

JCの方の友だちの紹介で、JCを知り行きました。

JCの何がよかったのか

知主夫さんのメッセージが、毎回、毎回、基本に戻っていることがよかったです。主イエスがなんのために十字架で死なれたのか? なぜ私を救いに来られたのか? 罪とは何か? 恵とは何か? 神の愛や神の命令は何か? 悔い改めとは何か? 以上の基本が語られていました。それらを忘れがちで、自己本意になりやすい私にとって、毎回、以上の基本を思い出させて頂いたことがよかったです!

なぜJCに決めたのか

教会の中でさえ、人間関係に問題が起こります。以前の私は「同じ聖書を学び、同じ愛について多く語られるのに、なぜこんなにも問題があるのか?」と考えさせられていました。「神が言われる【愛】とは何なのか?」と、祈り求めていました。

多くのJCの人たちが一致して、神が命令する【愛】を祈り求めていました。みなの対応や話し方に、人間くさい表面的な愛でなく、神の愛を感じました。JCの多くの人たちが主イエスにあって一致しているときに、聖霊が働いているのを感じました。この教会だったら、たとえ問題があったとしても成長できると思うことができました。そして、その思い通りに参加し続けることができました。

JCの推薦できるところ

JCの推薦できるところは、教え、祈り、交わりが、バランスとれているとろです。


感想by牧仕

◉感想その1


「メッセージが、毎回、毎回、基本に戻っていることがよかった」と、おどちゃんは言っています。


聖書には、ミルクと固形物のことばの二種類があります。ペテロは、聖書のことばのミルクを飲めば、成長し、救いを得られると言っています。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(Ⅰペテロ2:2)

次に固形の食物について、ヘブル人への手紙を書いた人は、次のように言っています。「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(ヘブル5:14)

実は、聖書を読むときに、まずミルク、そして固形物の両者を摂取していくことが、クリスチャンの成長には欠かせません。ミルクは、おどちゃんが言っているように、基本的な真理です。大切なことなので、彼女の言葉を繰り返させてください。

「主イエスがなんのために十字架で死なれたのか? なぜ私を救いに来られたのか? 罪とは何か? 恵とは何か? 神の愛や神の命令は何か? 悔い改めとは何か?」 

「以上の基本が(JCでは)語られていました。それらを忘れがちで、自己本意になりやすい私にとって、毎回、以上の基本を思い出させて頂いたことがよかったです!」

だれもが、基本を繰り返して思いめぐらす、つまり十分に純粋なミルクを飲んで成長していく必要があります。次に、その延長線上で、神のことばの固形物を食べる必要もあるのです。クリスチャンの人生において問題や苦しみがあるのは当然のことです。旧約聖書も新約聖書も、人間が遭遇する問題や苦しみについて書いています。

イスラエルの王様、ユダヤ人のヒーローであるダビデ本人の問題や罪についても、はっきりと書かれています。また、主イエス・キリストの弟子たちの問題や罪についても例外ではありません。さらに驚くことに、新約聖書の手紙と黙示には、教会の問題や罪についてもはっきりと書かれているのです。

クリスチャンも不完全な者たちの集まりです。その不完全さを責めて反発し合うのではなく、お互いキリストの姿へ工事中の身として、互いの工事を助け合うために賜物が与えられるというのが聖書の約束です。

「あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント 14:12)

教会とは、キリストの身体です。そして、私たちクリスチャン一人一人が、キリストの身体の部分なのです。つまり、聖霊の賜物を求めるのは自分自身を高めるためではなく、他の身体の部分の徳(キリストの性質)が高められるために、その賜物を求めるのです。

それにも関わらず、お互いに不完全なので、キリストに仕え、互いに仕え合う中でも、残念ながら問題は起こります。

霊的に成長するための固形物食料について、ヘブル人の手紙を書いた人は次のように言っています。「堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(ヘブル5:14)何が悪いのかをはっきりと見分けるとき、その悪い状態に対処し、良い状態へと回復させ、その状態を保たせるときに必要な神のことばが、堅い食物です。

神との基本的な愛する関係が土台になっていないときは、堅い食物はとても堅くて消化できないでしょう。また、神と、神の民に仕える経験が少ないときには、聖書の固形物の言葉は消化不足になるでしょう。

おどちゃんは、「教会の中でさえ、人間関係に問題が起こります。」と言っています。

イエス・キリストは、まったく罪のないお方でしたが、キリストのからだである教会は不完全な人間の集まりです。その不完全な人間同士が、完全を目指してお互いに助け合うのが、キリストのからだ、つまり教会のひとつの大きな目的です。

そのことが理解できた上でなければ、堅い食物は消化するのは困難です。
逆に、そのことが理解できれば、堅い食物を消化する準備ができているのです。

感想その2

おどちゃんは、教会について、以下のように言っています。

「同じ聖書を学び、同じ愛について多く語られるのに、なぜこんなにも(教会の中に)問題があるのか?」と考えさせられていました。「神が言われる【愛】とは何なのか?」と、祈り求めていました。」

「この教会だったら、たとえ問題があったとしても成長できると思うことができました。そして、その思い通りに参加し続けることができました。」



私たちの教会も、多くの教会同様、人間関係に問題は起こります。逆に、全く人間関係に問題が起こらない教会があるのでしょうか? 恐らく、全く人間関係に問題が起こらない教会は存在しないのではないでしょうか。それは、互いに集まる人間があなたと私を含めて完全ではないことに原因があります。

読者の皆様も1つ以上教会に参加されたことがある方がいらっしゃると思います。私は比較的多くの教会に出席し見る機会が与えられた者だと思います。日本でも、約30ほどの教会の交わりに参加させていただき、アメリカでも10くらいの教会に参加させていただいたことがあります。それでも少ない事例の中で、思ったことですが、完全な教会など存在しません。牧仕もリーダーも不完全ですし、役員も、長老も、小リーダーも、兄弟姉妹もみな不完全な者の集まりです。

この不完全な者たちの集まりの中で起こる問題を解決するために、お互いに確認したいことが2点あります。

まず最初に、基本中の基本のことですが、不完全な者な罪人のためにイエス・キリストが十字架で苦しみ代わりに死んでくださったのです。このキリストにおいてのみ、私たちは罪が赦され、父なる神に子どもとして受け入れられるのです。だからこそ、「あなたがた(私たち)もキリストが赦してくださったように互いに赦し合いなさい」と命じられています。

自分が悪い、自分の罪が分からない者が多くいる教会や群れやグループでは、必然的に赦されたことが分からない者が多くいることになります。自分の罪が赦されたことが理解できない者が多ければ多いほど、赦し合うのは困難です。問題の多くは、自分が赦されたように互いに赦し合うときに解消へと向かいます。



 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:32)



次に、不完全な者が、神に助けられて完全を目指すのが、教会の基本です。この基本についての理解が与えられている者が多ければ多いほど、問題は少なくなります。しかし逆に、この基本についての理解が、神から与えられている人が少なければ少ないほど、人間関係の問題は多くなります。

完全な方は、イエス・キリストだけです。この方の心のように各自の心が変えられるために、また、そのために互いに仕え合うように、神は私たちを呼ばれました。

あなたと私たちの教会にも、以下のような人々が与えられますように!


1)キリストがあなたと私を赦されたように、互いに赦し合う人々

2)キリストが霊的な成長を助けるために仕えられたように、互いに仕え合う人々

以上のような人々が多く与えられますように!



「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリント 3:18)




さらに違う方々の分ち合いを読みたい方は、いかのリンク先からお読みください。

http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/far/38-odo






               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。
あなたがクリックすると、さらに多くの人々がこのブログを読むことができます。
このブログの内容に同意・共感したかたにお願いします。



2014年12月1日月曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.4 やまちゃん


やまちゃん(会社員)
http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/25-yama

JCに来たきっかけ

会社の仕事や人間関係に思い悩んでいたとき、会社の同僚のクリスチャンがJCを紹介してくれたことがきっかけで通い始めました。

JCの何がよかったのか

1)牧仕が、初めて福音を聞く僕にも分かるように教えてくれたことです。福音を知ることによって、なぜキリストを信じ、主と呼ぶことができるのかが、はっきりと判りました。JCで神の愛について学ぶことで、聖霊の働きを知ることができました。

2)JCの兄弟姉妹に愛があり、祈りの中でも、行動の中でも、互いに仕えあい、成長を励まし、助け合う光景を目にして、とても良い教会だと感じました。

3)賛美をするとき、JC全員でキリストをほめたたえるという一体感が表われています。JCで兄弟姉妹と賛美している時間は、本当に神との関係を近くに感じることができます。

JCの推薦できるところ

1)まったくキリストの知識がなくても、牧仕やJCの兄弟姉妹が愛を持って、キリストについて教えてくれます。キリストのことを知らない方も、知っている方もお互いに成長して行ける教会だと思います。

2)聖書を創世記から黙示録まで順を追って学べるので、初めての方でも神の全体の計画を知ることができます。

3)牧仕が聖書から学んだことを、普段の生活の中で具体的にどう当てはめて実践していくのかを、わかりやすく説明してくれるので、とっても理解しやすいです。

ぜひ、JCで一緒にキリストについて学び、神の家族として共に歩んでみませんか


コメントbyぼくし(牧仕)


【JCに来たきっかけ】


JCを通して救われた男性が勤務している同じ会社で、やまちゃんは働いていました。その男性が、やまちゃんにキリスト分ち合い、やまちゃんはキリストを求めるようになりました。その彼が、山ちゃんにJCを紹介したので来るようになりました。


【JCの何がよかったのか】


「牧仕が、初めて福音(よい知らせ)を聞く僕にも分かるように教えてくれた」と、やまちゃん。

◉悪い知らせ、その1

その前に、悪い知らせがあります! 自分の努力で神に受け入れてもらうことはできません。どれだけ、能力があっても、権力があっても、苦労して努力していても、性格がよくて人格者でも、神はあなたを受け入れてはくれません。神に受け入れられないもの=罪(神の善悪の基準からかけ離れた自分勝手な善悪と、それがもたらした多くの失敗や罪々)は、誰の中にもあるので、神はそのままではあなたを受け入れてはれません。これは悪い知らせです。

罪とは【的外れ】という意味です。神の善悪の基準と、私とあなたの善悪の基準はかけ離れているのです。それを罪と言います。例えば、私たち人間は、兄弟を愛し、一方で敵を憎むのは当然と考えます。しかし神は、敵を愛し、あなたの敵を祝福しなさいと言っています。また、私たち人間は、殺すのは悪いが、腹を立てるのは誰でもやると考えます。しかしキリストは、腹を立てる者はさばかれる、と宣言されています。

福音(よい知らせ)とはなんでしょうか? よい知らせとは、「神が、あなたを、祝福する者として、
受け入れてくださる!」ことに関係しています。しかも、どうやって受け入れてくださるかに関係しています。神は、キリストにあって、あなたと私を受け入れてくださるのです。でもどうやって? 


◉よい知らせ、その1

神は、キリストの完成された働きを受け入れられたのです。あなたと私を受け入れるための大事業を完成されたイエスを信じる者を受け入れてくださるのです。完成された働き? それは、十字架で私とあなたの「受け入れられないもの=罪」を負われて、私たちの罪となってくださったことを指します。イエスは、十字架上で息を引き取る直前、「完成した!」と言われました。イエスは、あなたが責められるべきものを、すべて(全部)負ってくださったのです。それは、あなたを永遠に受け入れるためです。

▷イエスが十字架であなたの【神に受け入れられないもの=罪】(神の善悪の基準からかけ離れた自分勝手な善悪と、それがもたらした多くの失敗や罪々)を負ってくださり、罪となってくださったり、代わりにあなたを赦してくださったことを信じたら、聖霊が与えられます。あなたの心の奥底から生ける水が溢れ出すのです。喜びや平安が溢れてくるのです。

◉よい知らせ、その2

さらなるグッドニュースがあります! それは、私とあなたの罪(=受け入れられない原因)を十字架で苦しんで負われたイエス・キリストが、三日後に、よみがえられたことです。イエスは、よみがえらえて今日も生きておられます。

神は、その働きを完成してくださったイエスを信じる者を赦してくださるのです!しかも、あなたが、その働きを成し遂げられたイエスを信じたら、そのあなたに、イエスの正しさを着せてくださるのです。神は、正しくない者を、キリストのゆえに、正しいと認めてくださるのです。

「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。」(ローマ 4:24)と書いてある通りです。



▷よい知らせによって与えられるもの
さらにグッドニュースがあります。神は、あなたがイエス・キリストを信じたら、神の子として永遠に迎えてくださるのです。

▷この地上においても、あなたのために死なれ、そしてよみがえられた方、この方に従って生きるとき、神はあなたをご自分の愛する子どもとして、その生き方を助けてくださるのです。

◉よい知らせ、その3

これらすべては恵みによるのです。私たちの努力や能力や権力によて、神に受け入れてもらうことはできません。しかし、「私とあなたを受け入れる大事業」を完成されたキリストを信じるのであれば、その信仰がよしと認められ、あなたは神の子として受け入れらるのです。いったん受け入れられて関係が与えられた後は、父なる神に求めると、父である神は恵み深くしてくださいます。

ひとり子イエスを始めとして、それに加えてすべてよいものを受け取るのにふわさしくない、私とあなたですが、それにも関わらず神が恵み深いがゆえに、神は私たちを祝福してくださるのです。祝福してくださるの理由は、神の性質にだけにあります。イエス・キリストを通して神に近づく者を、神は祝福してくださるのです。

神が、関係を回復するために、すべてを持ち出してくださったのです。そう、ひとり子であるイエス・キリストでさえ、私とあなたのために与えてくださったのです。であれば、神の願にかなった歩みをするために、すべてのものを与えてくださらないわけがありません。

◉よい知らせ、その4

あなたが、この情報を聞いて、今までは自分勝手な方向に生きていたけれど、これからはキリストに従って生きていきたい。今まで、神を無視して、ずいぶん自分勝手に生きていたけれど、

1)その罪(神の善悪の基準からかけ離れた自分勝手な善悪と、それがもたらした多くの失敗や罪々)を認めます。

2)そして、この罪をすべて、キリストが十字架で負ってくださったことを受け入れ、神が私を赦してくださったことを信じます。

3)キリストは三日後によみがえられたことを信じます。

イエスは、今日も生きておられ、私たちのためにとりなしておられます。私たちが死んだ後、私たちは新しいからだが着せられて、キリストとともに永遠に生きることになることになるのです。



この良き知らせであるキリスト。この方をさらに知りたくありませんか。
このイエス・キリストについて、さらに聞いてみませんか。

聞いてみたい方は、下記のリンクをクリックしてみてください。




コメントや素朴な質問を歓迎しています。



もっと多くの人たちの分ち合いを読みたい方はこちら        http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/25-yama





               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。
あなたがクリックすると、さらに多くの人々がこのブログを読むことができます。
このブログの内容に同意・共感したかたにお願いします。



2014年11月24日月曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.3 小林さん

▷初めて「小林さんがJCに来るきっかけ」を聞いたときに、私は思わず笑ってしまった。なぜなら、小林さんが「教会に連れて行ってください」と頼んでいるのにも関わらず、やまださん(シリーズ Vol.1に登場)は一向に彼女を教会に連れて行く気配がなかったと聞いたからです。小林さんがキリストを信じた経緯を読んでみて、考えれば考えるほど…(続く)


小林 美智子  


http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/21-michiko-k

JCに来たきっかけ

職場で問題に打ち当たり、いろいろな本を読みあさり、多くのアドバイスをもらいました。しかし逆に混乱してしまい、常に何かに追い立てられている状態が続きました。そんなとき、ある同僚が目にとまりました。彼女はリラックスして自由な感じでしたが、逆に自分は虚勢を張っていました。そんな彼女はクリスチャンでした。彼女 がJCに通っていたので、連れていって欲しいと言いました。しかし彼女には、いっこうに連れて行ってくれる気配がなかったので、さらに自分から頼んで連れて行ってもらいました。(今だから笑えます)

 私は、そこで初めて「人間には神の愛は無くて、罪があること」を聞きました。それまで「頑張ってもできない自分」を責めていた私は、自分に罪があると聞いてなぜかほっとしました。また、「愛が無ければやかましいどらや、うるさいシンバルとおなじです。」(Ⅰコリント13:1)ということを聞いて、「私のことだ!」と思いました。聖書の話を聞き続けているうちに、これが単なるお話や考え方ではなく現実的に迫ってきて、本当なんだと思えてきました。自分ではどうすることもできないから、イエス・キリストが私の罪を負って代わりに十字架で苦しまれて赦してくださったこと、3日の後に復活されて、私を助けてくださっていること、罪の赦しを得させる悔い改めが与えられていること、これらのプレゼントが与えられていることは本当にすごいです。


JCの何がよかったのか 

神のことばが語られ、本当のことを言ってくれて、なおかつ等身大でいられる。互いに励ましながら、神を求め、神の計画が実現されることを求めているとことろです。今でも気持ちが沈んだり不安になったりすることはあります。でも「そんなときは、神に助けを求めればいいんだ」と方向性がはっきりしています。神は変わらない存在で、愛してくださり、悔い改めれば失敗を赦してくださり、助けてくださり、いつも共にいてくださいます。どんな状況でも、24時間365日どこでもその神に祈りで助けを求められる関係を与えてくださって、本当に感謝です。 


なぜJCに決めたのか

 1)神のことば(真理)が語られ、神に応答することが励まされるから。 2)神についてくことを励まし合えるから。


JCの推薦できるところ 

1) 神のことば、真理が語られ、すごく分かりやすい。
2)どこまでいっても恵みということが語られ、自分を作らないで、等身大でいられる。 3)神を仲間とともに追い求めることが励まされる。 


ブロガー感想 

◉感想、その1 ▷小林さんがキリストを信じた経緯を読んでみた。考えれば考えるほど、人の魂が救われるのは神業だと思わされました。しかし一方で、神は不完全である私たちを使われる。それは神が他の人たちをも救いたいからだ。その根拠が聖書の中に書いてある。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(すべての人)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)神は、ひとり子のキリストさえ与えられた。それは、あなたと私を永遠にご自分の愛の中に引き寄せたいから。神は、不完全な人間を使って、あなたにキリストを知って、信じて、信頼して、この地上での歩みをして欲しいと願っておられるのです。

 ◉感想、その2 ▷「自分に罪があると聞いて、なぜかほっとしました。」by 小林さん。【罪】は、だれの中にもあります。それは、自分と神の善悪の基準がかけ離れていることを指します。例えば、神は敵のために祈りなさい、敵を愛しなさい、と言われる。しかし人間は、敵を憎み敵が不幸になると「ざまあみろ」と秘かに喜ぶ。また神は、「わたしが赦したように赦しなさい」と言われる、しかし人間は「こんなことをした者を赦すことはできない」と心を頑にする。このような善悪の基準の差を、聖書では罪と言います。小林さんは、これがあるとわかって「ほっ」としたのです。私たちは多かれ少なかれみな偽善者です。そのような思いの欠片があるのにも関わらず、自分のことを善い人と思いたい欲求があります。しかし、神のことばを耳にするとき、誰の中にもある【罪】が示されるのです。よい知らせがあります。その罪を神のひとり子であるイエス・キリストが十字架で苦しんで負ってくださったのです。それによって、神があなたを赦すため、また、愛していることを明らかにするためです。 

 ◉感想、その3 ▷「神のことばで本当のことを言ってくれていて、かつ等身大でいられる」by 小林さん。【等身大】とは、自分のことを大きく見せかけたり、卑屈になったりしないということだと思います。私たちは、神の御前にありのままの自分のままで出ることができます。というか、神の御前では何一つ体裁を整えることはできないのです。私たちの心のすべてが、神には裸であり見透かされているのです。だから私やあなたが「等身大」をごま化しても、神にはバレているのです。それならば、最初から等身大でいようと努めた方が賢いでしょう。自分の罪を認めて、赦しと助けを求めて、ありのまま神の御前にでるとき、神は完全な御子イエス・キリストの心へと変え始めてくださいます。

 ◉感想、その4 ▷JCの推薦できるところ? ▷「仲間とともに、神を追い求めることが励まされる」by 小林さん。これは牧仕の私自身が求めていることでもあります。パウロはテモテに宛てて「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」(Ⅱテモ 2:22 )と言っています。これは牧仕ひとりでもできないし、兄弟姉妹がひとりでもできないことです。このパウロの命令を追求していきたい、そのように心から思っています。


PS 素朴なコメントや質問、歓迎します



         もっと多くの人たちの分ち合いを読みたい方はこちら
      http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/21-michiko-k



               クリックで、知らせよう。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
  ではなくて、イエス・キリストを。
あなたがクリックすると、さらに多くの人々がこのブログを読むことができます。
このブログの内容に同意・共感したかたにお願いします。