2015年1月15日木曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.7もえちゃん


もえちゃん (バレエダンサー)


JCに来たきっかけ


私がこの教会に来るきっかけになったのは、知主夫さんがメッセージをしている家庭集会でした。その頃の私は、仕事に困難を覚えて身体が重く、心のバランスも崩れていました。そこでメッセージを聞いていくうちに、心に隠れているプライドやグッと握り閉めているこだわりが大きいことに気づかされました。「自分勝手な基準や思い煩いによって疲れてしまっていたんだと…。」「もう、自分の力ではできないから、背伸びをせずに、ありのままの自分で神に力を求めてみよう!!」「もっと神のことばを聞き続け、自分の内側をクリアにしたい」と思いJCに来ました。


JCの何がよかったのか

イエスキリストをかしらとした一人一人が、からだの一部として歩んでいることが、とても伝わってきました。賛美のとき、手を広げ神様に心から捧げているのを見て涙が溢れました。



なぜJCに決めたのか

人の言葉ではなく、神のことばで祈り励まし合うことができるからです。また、みんながイエスキリストのからだの一部として、父なる神を信じ、聖霊の力を求めて歩んでいるからです。



JCの推薦できるところ

礼拝やバイブルスタディの他に、季節ごとの外でのフェローシップやシングルウィメンズやヤング社会人、ファミリーフェローシップなど交わりのときが沢山あるので、とても励まされます。





感想by牧仕



プライドについて

もえちゃんは、次のように言っています。

「そこでメッセージを聞いていくうちに、心に隠れているプライドやグッと握り閉めているコダワリが大きいことに気づかされました。」


「もう、自分の力ではできないから、背伸びをせずに、ありのままの自分で神に力を求めてみよう!!」


「もっと神のことばを聞き続け、自分の内側をクリアにしたい」と思いJCに来ました。



ここからは、牧仕の私の感想ですが、


プライドや自分勝手なコダワリが働くと、自分の等身大からかけ離れて、背伸びした自分を演じることになります。


自分の等身大を、ありのままに認める。これは、簡単なようで大変難しい。というか不可能です。自分の中にマイナスというか汚いものがない人間など存在しないからです。


生きていれば、否定的なことを言われたり、否定的な評価をされることがあります。それを押し返すように、肯定的な「良いとこ探し」をするように促されている自分がいるのではないでしょうか。


「良いとこ探し」を止めてしまったら、自分は終わってしまうという恐怖心に駆られて、否定的な評価から逃れるように「良いとこ探し」に邁進する。当然、私たちのプライドは、「良いとこ探し」を応援します。


しかし、冷静になって考えてみれば、どんな人格者でも怒ったり、妬んだり、恨んだり、高慢だったり、性的欲求をコントロールできなかったり、えこひいきをしたり、見せかけたりします。そうです、どんな人であっても、以上の点で完全な人など存在しません。


現実は、そうであるのにも関わらず、私たちは良い人間を装うとする。私たちのプライドは、思いっきり装うとするのを応援します。


しかし装う自分を、自他ともに受け入れようとすると、仮装の下にある本来の自分との差が大きくなり、心休まることはありません。逆に、その状態から逃れるようにして、プライド満たし続けて、自分を安定させようとします。


以上のようなことを繰り返しても、魂に安らぎは訪れることは決してないのです。


しかし神は、汚い偽装した「良い者」が暴かれたとしても、そのありのままの私たちを、キリストにあって心から受け入れてくださいます。


キリストは、次のように言われました。「だれでも疲れて重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげよう。」


また、次のように言われました。「わたしは優しくへりくだっているから、わたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすれば、魂にやすらぎがきます。」


キリストは、私たちの汚さや、完全な性質から外れているもの、つまり罪を十字架で苦しんで負われました。この方にあって、私たちはありのままに、神に受けいられるのです。


そして、下駄を履かせて背伸びしたところからではなく、ありのままの情けない状態から成長するように助けてくださるのです。神は、自分や他者を苦しめる悪いこところを、「そのままでよい」とは言われません。逆に、その悪いところを赦し、きよめて、あるいは癒して、成長させてくださいます。


神が、ありのままに受け入れてくださるとは、以上のような意味で、受け入れてくださるのです。そのように受け入てくださったことを知ったとき、心の底から安らぐのです。「ああ、よかったありのままに受け入れられるって、こういうことだったのか」と。



人の言葉でなく、神のことばで励まし合い、聖霊の力を求めている



もえちゃんは、次のように言っています。

「人の言葉ではなく、神のことばで祈り励まし合うことができるからです。また、みんながイエスキリストのからだの一部として、父なる神を信じ、聖霊の力を求めて歩んでいるからです。」



ここからは、牧仕の私の感想ですが、



人の言葉には限界があります。なぜなら、相手のことを完全に理解している人など存在しないからです。しかし、お互いに理解しようと努めるのは当然のことです。


それでも、完全に他者を理解できる人など存在しません。しかし一方で、神は、私たちを完全に理解されています。


その方のことばは、私たちの魂や霊や心を強め養い育てるのです。この方のことばで、お互いに励ますのが、当然といえば当然のことですが、一番励まされることになります。








▽他の人たちがどうしてJCにしたのか?を読むことができます。



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2015年1月2日金曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol. 6 どうどうさん



どうどうさん (主婦)

JCに来たきっかけ

夫の転勤で、広島から東京に移って教会を探していたとき、知人からJCのことを少し聞いていたので、JCを探して思い切って 礼拝に出席してみました。礼拝の後、教会を探していることを牧仕にお話しすると意外にも「そうですかぁ~、いい教会が見つかるといいですねぇ。」と言われました。私は、ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていたので、牧仕のこの一言で、私の恐れは一掃されました。逆にこの言葉で、JCに集うことを決めました。



JCの何がよかったのか

JCでは、神のことばを順番に一節ずつ教えるので、聖書を理解できていない私の素晴らしい助けになりました。また、JCのフェローシップの中では「私たちは悪いから(キリストの十字架で)赦された」と認識されているので(もし忘れていても、共に聖書に戻って祈り合うフェローシップが与えられています)。私の内側は隠しているつもりでも、実はバレているという、とても風通しの良い関係だと思います。


なぜJCに決めたのか

今は、また広島に移ってこちらの教会に通っていますが、webのメッセージや、Skypeでの分かち合いや祈り、上京の折のフェローシップを通してJCとの関係は続いています。


JCの推薦できるところ

なかなかJCのような教会はないと思っていますので、もし教会を探していらっしゃるなら、是非一度、訪問してチェックされることをお勧めします。



感想by牧仕

どうどうさん:「取り込まれてしまうのでは!?」

どうどうさんは、「ここがどんな教会か判断する時間もなく取り込まれるんじゃないかと恐れていた」と、言っています。今から分ち合うことは、素朴に思っていることですが、神から教会を任されている側からすると、新しく人が加わるのはとても嬉しいことだと思います。しかしその思いが行き過ぎて「取り込む」という思いによって私たちが動くときには、聖霊の思いに調和しなくなります。これは自戒の念を込めて言うのですが、大切なことは「どのように神が、その人を導いているのか?」であって、私やあなたが、新しく来られた方をどうしたいかではないということです。神の思いと調和しないと、せっかくその人が教会に加わったとしても、その人と教会、両者にとって益とはならないでしょう。しかし、神の思いと一致したときには、その人は教会(そこに自発的に参加している人たち)にとって祝福となります。どうどうさんは、そのときから今に至るまで、私たちにとって祝福とされています。神をほめたたえます! 主に感謝! 



しかし【主】よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。詩 69:13 




▽他の人たちがどうしてJCにしたのか? を読むことができます。


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2014年12月16日火曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol. 5 おどちゃん

 おどちゃん(米軍士官妻・看護士)

http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/far/38-odo


JCに来たきっかけ

JCの方の友だちの紹介で、JCを知り行きました。

JCの何がよかったのか

知主夫さんのメッセージが、毎回、毎回、基本に戻っていることがよかったです。主イエスがなんのために十字架で死なれたのか? なぜ私を救いに来られたのか? 罪とは何か? 恵とは何か? 神の愛や神の命令は何か? 悔い改めとは何か? 以上の基本が語られていました。それらを忘れがちで、自己本意になりやすい私にとって、毎回、以上の基本を思い出させて頂いたことがよかったです!

なぜJCに決めたのか

教会の中でさえ、人間関係に問題が起こります。以前の私は「同じ聖書を学び、同じ愛について多く語られるのに、なぜこんなにも問題があるのか?」と考えさせられていました。「神が言われる【愛】とは何なのか?」と、祈り求めていました。

多くのJCの人たちが一致して、神が命令する【愛】を祈り求めていました。みなの対応や話し方に、人間くさい表面的な愛でなく、神の愛を感じました。JCの多くの人たちが主イエスにあって一致しているときに、聖霊が働いているのを感じました。この教会だったら、たとえ問題があったとしても成長できると思うことができました。そして、その思い通りに参加し続けることができました。

JCの推薦できるところ

JCの推薦できるところは、教え、祈り、交わりが、バランスとれているとろです。


感想by牧仕

◉感想その1


「メッセージが、毎回、毎回、基本に戻っていることがよかった」と、おどちゃんは言っています。


聖書には、ミルクと固形物のことばの二種類があります。ペテロは、聖書のことばのミルクを飲めば、成長し、救いを得られると言っています。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(Ⅰペテロ2:2)

次に固形の食物について、ヘブル人への手紙を書いた人は、次のように言っています。「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(ヘブル5:14)

実は、聖書を読むときに、まずミルク、そして固形物の両者を摂取していくことが、クリスチャンの成長には欠かせません。ミルクは、おどちゃんが言っているように、基本的な真理です。大切なことなので、彼女の言葉を繰り返させてください。

「主イエスがなんのために十字架で死なれたのか? なぜ私を救いに来られたのか? 罪とは何か? 恵とは何か? 神の愛や神の命令は何か? 悔い改めとは何か?」 

「以上の基本が(JCでは)語られていました。それらを忘れがちで、自己本意になりやすい私にとって、毎回、以上の基本を思い出させて頂いたことがよかったです!」

だれもが、基本を繰り返して思いめぐらす、つまり十分に純粋なミルクを飲んで成長していく必要があります。次に、その延長線上で、神のことばの固形物を食べる必要もあるのです。クリスチャンの人生において問題や苦しみがあるのは当然のことです。旧約聖書も新約聖書も、人間が遭遇する問題や苦しみについて書いています。

イスラエルの王様、ユダヤ人のヒーローであるダビデ本人の問題や罪についても、はっきりと書かれています。また、主イエス・キリストの弟子たちの問題や罪についても例外ではありません。さらに驚くことに、新約聖書の手紙と黙示には、教会の問題や罪についてもはっきりと書かれているのです。

クリスチャンも不完全な者たちの集まりです。その不完全さを責めて反発し合うのではなく、お互いキリストの姿へ工事中の身として、互いの工事を助け合うために賜物が与えられるというのが聖書の約束です。

「あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント 14:12)

教会とは、キリストの身体です。そして、私たちクリスチャン一人一人が、キリストの身体の部分なのです。つまり、聖霊の賜物を求めるのは自分自身を高めるためではなく、他の身体の部分の徳(キリストの性質)が高められるために、その賜物を求めるのです。

それにも関わらず、お互いに不完全なので、キリストに仕え、互いに仕え合う中でも、残念ながら問題は起こります。

霊的に成長するための固形物食料について、ヘブル人の手紙を書いた人は次のように言っています。「堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(ヘブル5:14)何が悪いのかをはっきりと見分けるとき、その悪い状態に対処し、良い状態へと回復させ、その状態を保たせるときに必要な神のことばが、堅い食物です。

神との基本的な愛する関係が土台になっていないときは、堅い食物はとても堅くて消化できないでしょう。また、神と、神の民に仕える経験が少ないときには、聖書の固形物の言葉は消化不足になるでしょう。

おどちゃんは、「教会の中でさえ、人間関係に問題が起こります。」と言っています。

イエス・キリストは、まったく罪のないお方でしたが、キリストのからだである教会は不完全な人間の集まりです。その不完全な人間同士が、完全を目指してお互いに助け合うのが、キリストのからだ、つまり教会のひとつの大きな目的です。

そのことが理解できた上でなければ、堅い食物は消化するのは困難です。
逆に、そのことが理解できれば、堅い食物を消化する準備ができているのです。

感想その2

おどちゃんは、教会について、以下のように言っています。

「同じ聖書を学び、同じ愛について多く語られるのに、なぜこんなにも(教会の中に)問題があるのか?」と考えさせられていました。「神が言われる【愛】とは何なのか?」と、祈り求めていました。」

「この教会だったら、たとえ問題があったとしても成長できると思うことができました。そして、その思い通りに参加し続けることができました。」



私たちの教会も、多くの教会同様、人間関係に問題は起こります。逆に、全く人間関係に問題が起こらない教会があるのでしょうか? 恐らく、全く人間関係に問題が起こらない教会は存在しないのではないでしょうか。それは、互いに集まる人間があなたと私を含めて完全ではないことに原因があります。

読者の皆様も1つ以上教会に参加されたことがある方がいらっしゃると思います。私は比較的多くの教会に出席し見る機会が与えられた者だと思います。日本でも、約30ほどの教会の交わりに参加させていただき、アメリカでも10くらいの教会に参加させていただいたことがあります。それでも少ない事例の中で、思ったことですが、完全な教会など存在しません。牧仕もリーダーも不完全ですし、役員も、長老も、小リーダーも、兄弟姉妹もみな不完全な者の集まりです。

この不完全な者たちの集まりの中で起こる問題を解決するために、お互いに確認したいことが2点あります。

まず最初に、基本中の基本のことですが、不完全な者な罪人のためにイエス・キリストが十字架で苦しみ代わりに死んでくださったのです。このキリストにおいてのみ、私たちは罪が赦され、父なる神に子どもとして受け入れられるのです。だからこそ、「あなたがた(私たち)もキリストが赦してくださったように互いに赦し合いなさい」と命じられています。

自分が悪い、自分の罪が分からない者が多くいる教会や群れやグループでは、必然的に赦されたことが分からない者が多くいることになります。自分の罪が赦されたことが理解できない者が多ければ多いほど、赦し合うのは困難です。問題の多くは、自分が赦されたように互いに赦し合うときに解消へと向かいます。



 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:32)



次に、不完全な者が、神に助けられて完全を目指すのが、教会の基本です。この基本についての理解が与えられている者が多ければ多いほど、問題は少なくなります。しかし逆に、この基本についての理解が、神から与えられている人が少なければ少ないほど、人間関係の問題は多くなります。

完全な方は、イエス・キリストだけです。この方の心のように各自の心が変えられるために、また、そのために互いに仕え合うように、神は私たちを呼ばれました。

あなたと私たちの教会にも、以下のような人々が与えられますように!


1)キリストがあなたと私を赦されたように、互いに赦し合う人々

2)キリストが霊的な成長を助けるために仕えられたように、互いに仕え合う人々

以上のような人々が多く与えられますように!



「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリント 3:18)




さらに違う方々の分ち合いを読みたい方は、いかのリンク先からお読みください。

http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/far/38-odo






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2014年12月1日月曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.4 やまちゃん


やまちゃん(会社員)
http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/25-yama

JCに来たきっかけ

会社の仕事や人間関係に思い悩んでいたとき、会社の同僚のクリスチャンがJCを紹介してくれたことがきっかけで通い始めました。

JCの何がよかったのか

1)牧仕が、初めて福音を聞く僕にも分かるように教えてくれたことです。福音を知ることによって、なぜキリストを信じ、主と呼ぶことができるのかが、はっきりと判りました。JCで神の愛について学ぶことで、聖霊の働きを知ることができました。

2)JCの兄弟姉妹に愛があり、祈りの中でも、行動の中でも、互いに仕えあい、成長を励まし、助け合う光景を目にして、とても良い教会だと感じました。

3)賛美をするとき、JC全員でキリストをほめたたえるという一体感が表われています。JCで兄弟姉妹と賛美している時間は、本当に神との関係を近くに感じることができます。

JCの推薦できるところ

1)まったくキリストの知識がなくても、牧仕やJCの兄弟姉妹が愛を持って、キリストについて教えてくれます。キリストのことを知らない方も、知っている方もお互いに成長して行ける教会だと思います。

2)聖書を創世記から黙示録まで順を追って学べるので、初めての方でも神の全体の計画を知ることができます。

3)牧仕が聖書から学んだことを、普段の生活の中で具体的にどう当てはめて実践していくのかを、わかりやすく説明してくれるので、とっても理解しやすいです。

ぜひ、JCで一緒にキリストについて学び、神の家族として共に歩んでみませんか


コメントbyぼくし(牧仕)


【JCに来たきっかけ】


JCを通して救われた男性が勤務している同じ会社で、やまちゃんは働いていました。その男性が、やまちゃんにキリスト分ち合い、やまちゃんはキリストを求めるようになりました。その彼が、山ちゃんにJCを紹介したので来るようになりました。


【JCの何がよかったのか】


「牧仕が、初めて福音(よい知らせ)を聞く僕にも分かるように教えてくれた」と、やまちゃん。

◉悪い知らせ、その1

その前に、悪い知らせがあります! 自分の努力で神に受け入れてもらうことはできません。どれだけ、能力があっても、権力があっても、苦労して努力していても、性格がよくて人格者でも、神はあなたを受け入れてはくれません。神に受け入れられないもの=罪(神の善悪の基準からかけ離れた自分勝手な善悪と、それがもたらした多くの失敗や罪々)は、誰の中にもあるので、神はそのままではあなたを受け入れてはれません。これは悪い知らせです。

罪とは【的外れ】という意味です。神の善悪の基準と、私とあなたの善悪の基準はかけ離れているのです。それを罪と言います。例えば、私たち人間は、兄弟を愛し、一方で敵を憎むのは当然と考えます。しかし神は、敵を愛し、あなたの敵を祝福しなさいと言っています。また、私たち人間は、殺すのは悪いが、腹を立てるのは誰でもやると考えます。しかしキリストは、腹を立てる者はさばかれる、と宣言されています。

福音(よい知らせ)とはなんでしょうか? よい知らせとは、「神が、あなたを、祝福する者として、
受け入れてくださる!」ことに関係しています。しかも、どうやって受け入れてくださるかに関係しています。神は、キリストにあって、あなたと私を受け入れてくださるのです。でもどうやって? 


◉よい知らせ、その1

神は、キリストの完成された働きを受け入れられたのです。あなたと私を受け入れるための大事業を完成されたイエスを信じる者を受け入れてくださるのです。完成された働き? それは、十字架で私とあなたの「受け入れられないもの=罪」を負われて、私たちの罪となってくださったことを指します。イエスは、十字架上で息を引き取る直前、「完成した!」と言われました。イエスは、あなたが責められるべきものを、すべて(全部)負ってくださったのです。それは、あなたを永遠に受け入れるためです。

▷イエスが十字架であなたの【神に受け入れられないもの=罪】(神の善悪の基準からかけ離れた自分勝手な善悪と、それがもたらした多くの失敗や罪々)を負ってくださり、罪となってくださったり、代わりにあなたを赦してくださったことを信じたら、聖霊が与えられます。あなたの心の奥底から生ける水が溢れ出すのです。喜びや平安が溢れてくるのです。

◉よい知らせ、その2

さらなるグッドニュースがあります! それは、私とあなたの罪(=受け入れられない原因)を十字架で苦しんで負われたイエス・キリストが、三日後に、よみがえられたことです。イエスは、よみがえらえて今日も生きておられます。

神は、その働きを完成してくださったイエスを信じる者を赦してくださるのです!しかも、あなたが、その働きを成し遂げられたイエスを信じたら、そのあなたに、イエスの正しさを着せてくださるのです。神は、正しくない者を、キリストのゆえに、正しいと認めてくださるのです。

「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。」(ローマ 4:24)と書いてある通りです。



▷よい知らせによって与えられるもの
さらにグッドニュースがあります。神は、あなたがイエス・キリストを信じたら、神の子として永遠に迎えてくださるのです。

▷この地上においても、あなたのために死なれ、そしてよみがえられた方、この方に従って生きるとき、神はあなたをご自分の愛する子どもとして、その生き方を助けてくださるのです。

◉よい知らせ、その3

これらすべては恵みによるのです。私たちの努力や能力や権力によて、神に受け入れてもらうことはできません。しかし、「私とあなたを受け入れる大事業」を完成されたキリストを信じるのであれば、その信仰がよしと認められ、あなたは神の子として受け入れらるのです。いったん受け入れられて関係が与えられた後は、父なる神に求めると、父である神は恵み深くしてくださいます。

ひとり子イエスを始めとして、それに加えてすべてよいものを受け取るのにふわさしくない、私とあなたですが、それにも関わらず神が恵み深いがゆえに、神は私たちを祝福してくださるのです。祝福してくださるの理由は、神の性質にだけにあります。イエス・キリストを通して神に近づく者を、神は祝福してくださるのです。

神が、関係を回復するために、すべてを持ち出してくださったのです。そう、ひとり子であるイエス・キリストでさえ、私とあなたのために与えてくださったのです。であれば、神の願にかなった歩みをするために、すべてのものを与えてくださらないわけがありません。

◉よい知らせ、その4

あなたが、この情報を聞いて、今までは自分勝手な方向に生きていたけれど、これからはキリストに従って生きていきたい。今まで、神を無視して、ずいぶん自分勝手に生きていたけれど、

1)その罪(神の善悪の基準からかけ離れた自分勝手な善悪と、それがもたらした多くの失敗や罪々)を認めます。

2)そして、この罪をすべて、キリストが十字架で負ってくださったことを受け入れ、神が私を赦してくださったことを信じます。

3)キリストは三日後によみがえられたことを信じます。

イエスは、今日も生きておられ、私たちのためにとりなしておられます。私たちが死んだ後、私たちは新しいからだが着せられて、キリストとともに永遠に生きることになることになるのです。



この良き知らせであるキリスト。この方をさらに知りたくありませんか。
このイエス・キリストについて、さらに聞いてみませんか。

聞いてみたい方は、下記のリンクをクリックしてみてください。




コメントや素朴な質問を歓迎しています。



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2014年11月24日月曜日

シリーズ なぜこの教会にしたの? Vol.3 小林さん

▷初めて「小林さんがJCに来るきっかけ」を聞いたときに、私は思わず笑ってしまった。なぜなら、小林さんが「教会に連れて行ってください」と頼んでいるのにも関わらず、やまださん(シリーズ Vol.1に登場)は一向に彼女を教会に連れて行く気配がなかったと聞いたからです。小林さんがキリストを信じた経緯を読んでみて、考えれば考えるほど…(続く)


小林 美智子  


http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/21-michiko-k

JCに来たきっかけ

職場で問題に打ち当たり、いろいろな本を読みあさり、多くのアドバイスをもらいました。しかし逆に混乱してしまい、常に何かに追い立てられている状態が続きました。そんなとき、ある同僚が目にとまりました。彼女はリラックスして自由な感じでしたが、逆に自分は虚勢を張っていました。そんな彼女はクリスチャンでした。彼女 がJCに通っていたので、連れていって欲しいと言いました。しかし彼女には、いっこうに連れて行ってくれる気配がなかったので、さらに自分から頼んで連れて行ってもらいました。(今だから笑えます)

 私は、そこで初めて「人間には神の愛は無くて、罪があること」を聞きました。それまで「頑張ってもできない自分」を責めていた私は、自分に罪があると聞いてなぜかほっとしました。また、「愛が無ければやかましいどらや、うるさいシンバルとおなじです。」(Ⅰコリント13:1)ということを聞いて、「私のことだ!」と思いました。聖書の話を聞き続けているうちに、これが単なるお話や考え方ではなく現実的に迫ってきて、本当なんだと思えてきました。自分ではどうすることもできないから、イエス・キリストが私の罪を負って代わりに十字架で苦しまれて赦してくださったこと、3日の後に復活されて、私を助けてくださっていること、罪の赦しを得させる悔い改めが与えられていること、これらのプレゼントが与えられていることは本当にすごいです。


JCの何がよかったのか 

神のことばが語られ、本当のことを言ってくれて、なおかつ等身大でいられる。互いに励ましながら、神を求め、神の計画が実現されることを求めているとことろです。今でも気持ちが沈んだり不安になったりすることはあります。でも「そんなときは、神に助けを求めればいいんだ」と方向性がはっきりしています。神は変わらない存在で、愛してくださり、悔い改めれば失敗を赦してくださり、助けてくださり、いつも共にいてくださいます。どんな状況でも、24時間365日どこでもその神に祈りで助けを求められる関係を与えてくださって、本当に感謝です。 


なぜJCに決めたのか

 1)神のことば(真理)が語られ、神に応答することが励まされるから。 2)神についてくことを励まし合えるから。


JCの推薦できるところ 

1) 神のことば、真理が語られ、すごく分かりやすい。
2)どこまでいっても恵みということが語られ、自分を作らないで、等身大でいられる。 3)神を仲間とともに追い求めることが励まされる。 


ブロガー感想 

◉感想、その1 ▷小林さんがキリストを信じた経緯を読んでみた。考えれば考えるほど、人の魂が救われるのは神業だと思わされました。しかし一方で、神は不完全である私たちを使われる。それは神が他の人たちをも救いたいからだ。その根拠が聖書の中に書いてある。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(すべての人)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)神は、ひとり子のキリストさえ与えられた。それは、あなたと私を永遠にご自分の愛の中に引き寄せたいから。神は、不完全な人間を使って、あなたにキリストを知って、信じて、信頼して、この地上での歩みをして欲しいと願っておられるのです。

 ◉感想、その2 ▷「自分に罪があると聞いて、なぜかほっとしました。」by 小林さん。【罪】は、だれの中にもあります。それは、自分と神の善悪の基準がかけ離れていることを指します。例えば、神は敵のために祈りなさい、敵を愛しなさい、と言われる。しかし人間は、敵を憎み敵が不幸になると「ざまあみろ」と秘かに喜ぶ。また神は、「わたしが赦したように赦しなさい」と言われる、しかし人間は「こんなことをした者を赦すことはできない」と心を頑にする。このような善悪の基準の差を、聖書では罪と言います。小林さんは、これがあるとわかって「ほっ」としたのです。私たちは多かれ少なかれみな偽善者です。そのような思いの欠片があるのにも関わらず、自分のことを善い人と思いたい欲求があります。しかし、神のことばを耳にするとき、誰の中にもある【罪】が示されるのです。よい知らせがあります。その罪を神のひとり子であるイエス・キリストが十字架で苦しんで負ってくださったのです。それによって、神があなたを赦すため、また、愛していることを明らかにするためです。 

 ◉感想、その3 ▷「神のことばで本当のことを言ってくれていて、かつ等身大でいられる」by 小林さん。【等身大】とは、自分のことを大きく見せかけたり、卑屈になったりしないということだと思います。私たちは、神の御前にありのままの自分のままで出ることができます。というか、神の御前では何一つ体裁を整えることはできないのです。私たちの心のすべてが、神には裸であり見透かされているのです。だから私やあなたが「等身大」をごま化しても、神にはバレているのです。それならば、最初から等身大でいようと努めた方が賢いでしょう。自分の罪を認めて、赦しと助けを求めて、ありのまま神の御前にでるとき、神は完全な御子イエス・キリストの心へと変え始めてくださいます。

 ◉感想、その4 ▷JCの推薦できるところ? ▷「仲間とともに、神を追い求めることが励まされる」by 小林さん。これは牧仕の私自身が求めていることでもあります。パウロはテモテに宛てて「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」(Ⅱテモ 2:22 )と言っています。これは牧仕ひとりでもできないし、兄弟姉妹がひとりでもできないことです。このパウロの命令を追求していきたい、そのように心から思っています。


PS 素朴なコメントや質問、歓迎します



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2014年11月20日木曜日

シリーズ 「なぜこの教会にしたの?」Vol.2 ひろあきさん


ひろあき(会社員)

JCに来たきっかけ

やることがなく駅前で漫画を読んでいるとき、「JCでのコンサートに来ませんか?」と招かれたのがきっかけです。当時の私は、生きることの意味が分からなくなっており、現実逃避をしていました。でも、一方ではこのままじゃダメだと心の中で葛藤していました。そんなときに、そのコンサートでイエス・キリストのことを聞き、もしかしたらここに出口があるかもしれないと思い、少しずつJCに行くようになりました。

JCの何がよかったのか

私のしんどい状況に対して、神は何と言われてるのかを聖書を通して根気よく教え続けてくださったことと、たくさんの時間を使って励まし祈り良くし続けてくださったことです。

なぜJCに決めたのか

初めての教会なので、他に移らなかった理由になるかもしれません。初めてメッセージを聞き、半年間キリストのことを聞き続け、ある日突然「キリストが救いだ!」と信じました。それから約10年間、JCは「何がなんでもキリストで一致していこう!」というスタンスが変わりませんでした。「だから、今もこの教会だ!」という確信が与えられています。

JCの推薦できるところ

シンプルに、聖書を教え・愛し合い・キリストをおぼえ・祈りを共にする、不完全だし失敗もするけど、ここからブレずに追求しているところです。


ブロガー感想

若いアメリカ人と2人で、路上で個人伝道をしているときに、JR国分寺駅前でマンガを読んでいた《ひろあき》に出会いました。何度もアメリカ人の彼は「Chizuo、僕には個人伝道の賜物がないんだよ。」と言うので、そのたびに祈りました。彼と一緒に路上で伝道し5日目の午後、再び同じことを言うので、南口の階段に座って祈ってから頭を上げると、視線の先にあったベンチに座ってマンガを読んでいた《ひろあき》がいました。相棒に目で合図すると、彼も何かを感じたのか「ひょっとしたら脈があるかも」という表情をしていました。その日は、ひろあきと一緒に焼き肉を食べに行きました。

それから、何度も一緒に時間を過ごしました。後日に招いたコンサートは、とてもじゃないけれど「ゴスペルコンサート」という題目からは想像もできないほどレベルの低いものでした。しかし《ひろあき》はそのコンサートに現われました。そして《ひろあき》は教会に通い始めたのです。

新しい小さな教会ができることと言えば、みなで祈ることでした。それだけが、当初の私たちにできることでした。今から考えてみれば、それが良かったのだと思います。その後、神はこの教会を祝福してくださり、スケボーや衣料品、アクセサリーとギャラリーを扱う店が与えられました。しかし、当初はお店もなく、英会話クラスも、アートクラブもありませんでした。それでも《ひろあき》はイエス・キリストを信じたのです。そして、今では彼は賛美チームの一員として、賛美をリードしています。

神は、人を通して栄光を現わされますが、人間とは栄光を分ち合われることはありません。どんなときでも、土の器から人を救う力が出たのではなく、神ご自身から救いの力が出ていることを明らかにされたいのです。これは、だれもが手柄を取らないためです。栄光は神のものだからです。

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れないが神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(Ⅱコリ 4:7)

私たちの方で気をつけることと言えば、神との関係の中で、神が私を呼ばれたことと、信仰によって義(正しい)と認めてくださったことを確認することです。神は、その両者を通過した者に栄光を現わされるのです。

「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ 8:30)

しかし一方で、ベッドの中で横たわってるばかりでは何も起こりません。人間の側で神の願いに応答して動くときに神は働かれるのです。私たちが駅前に路上個人伝道に行かなければ《ひろあき》はキリストを信じることはありませんでした。しかし私たちが動いたとしても、神が栄光を現わされなければ、彼はキリストを信じることはありませんでした。

ひとがキリストを信じるのは、人間業ではないのです。これは100%神業です。ひとがキリストを信じた後に、キリストのような性質に変えられて成長するのも100%神業です。そのことを心の底から信じている者に、神は力を現わされます。人間が、その力を自分のものとして誇らないようにするためです。

そもそも不完全な私たち自身を、100%正しいと認めることは、だれにもできません。100%正しいと認めてくださるのは、すべて神のおかげです。さらに言うと、神が大きな犠牲を支払われたおかげです。イエス・キリストが十字架で私たちの罪のために、ひどく苦しまれたおかげなのです。

前にも述べたようにベッドの中で横たわっていても、神は人を救いキリストのように成長させる力を与えられはしません。だれであっても求めて一歩踏み出す者に、力を現わされるのです。そして神に栄光を帰する人に、神は栄光を現わし続けられるのです。

素朴に神を求め、導きを求めてみてください。「私を、あなたのことがばで養なれ、整えられる教会へと導かれますように!」と。


主イエスの恵みと平安が、あなたの上に豊かにありますように!
ジーザス・コミュニティ国分寺 11月20日
牧仕 桜井 知主夫

http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/through-jc/24-hiroaki

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2014年11月19日水曜日

シリーズ 「なぜこの教会にしたの?」Vol.1 やまださん


次の4つの質問:1)この教会に来たきっかけ? 2)何がよかったのか? 3)なぜここに決めたのか? 4)この教会の推薦できるところ? を通して、やまださんが「なぜこの教会にしたの」に耳を傾けてみました。

あなたは「なぜその教会にしたの?」でしょうか。この人たちの分ち合いに耳を傾けるときに、あなたの心の中で神の導きがさらに確かなものになりますように。そして、あなたが住んでいる地域でキリストのいのちが溢れる交わりに加えられ、神の恵みと平安が豊かに与えられますように! http://www.calvarykb.org/index.php/about-jc/why-jc/far/36-yamada

JCに来たきっかけ

子どものときにキリストを信じたけど、その後、教会には行きませんでした。ですからそれ以上、神のことは何も分かりませんでした。そんなとき、高校の同級生が夏休みにイエス・キリストを信じたのです。その子が教会に行くことを励ましてくれて教会に行き始めました。その後、洗礼を母親の通っていた教会で受けました。

今から分ち合うことは不思議な話ですが、その教会で賛美をしているときに「次の教会は、国分寺」と示されたのです。そのとき、電車の路線図の国分寺駅に丸をつけたのを、今でもハッキリと覚えています。国分寺にある教会に行くことになると確信しました。(この時点で、JCは存在していません。)

JCの何がよかったのか

以前は、教会に通い始めたのにも関わらず「神は意地悪で、怖くて、あれもだめ、これもだめ」というイメージを持っていました。しかし、JCに来たときに「神は良い方で、聖書は分厚いけど、神が一貫して言われたいことは『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』という一言に尽きる」ことが分かりました。


なぜJCに決めたのか

神が良い方と、わかったから。


JCの推薦できるところ

1)聖書を分かりやすく教えてくれるところ。
2)いろいろな人たちと、なんでも、祈り合えるところ。
3)祈り合ったり、話し合ったりする中で、自分の問題を分かち合っても、そのことをゴシップしたり、うわさ話のネタにされたりすることがないところ。
4)その問題を神に助けを求めるように励まし合う人たちが多いところ。



ブロガー感想

あるとき(そのときは全く知らなかったのですが)やまださんの高校の同級生のお母さんに頼まれて、そのお嬢さんにクリスチャンの夏のキャンプを紹介しました。その高校生は、その時点でキリストを信じていませんでした。そこで彼女がキャンプに参加する前に「キリストを信じられるように」と祈りました。すると、彼女はキリストを信じてキャンプから戻ってきました。▷夏のクリスチャン・キャンプを紹介して本当に良かったと思いました。

その上に、彼女とやまださんが同級生だったとは不思議なこともあるものです。彼女が、やまださんに教会に行くことを励ましたので、やまださんはお母さんの通っていた教会に行くようになりました。そして、賛美しているときに「今度は国分寺の教会に行くようになる」と、神から語られたのだというのですから、これまた不思議なこともあるものです。今年になって、やまださんがそのことを教えてくれたので、私は「なんでもっと前に教えてくれないのですか」と言いました。(笑)

「次は国分寺の教会」と、神が彼女に語られたとき、私たちの教会ジーザス・コミュニティ国分寺は存在していませんでした。神は、私たちがどの教会に集うのかということにも関心を持っていてくださる神であることを聞くと安心します。

そもそも、ヨハネがコメントしているように「神は、実に、ひとり子をお与えになるほどに、私たちを愛しておられます。それは御子イエス・キリストを信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。」つまり、私たちは、ひとり子さえお与えになる神を知り、信じ、信頼したのです。この方は、私たちを養い整えるために、あなたの最善を考えておられないわけがありません。

そしてパウロも次のように書いています。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」ローマ 8:32 神は、あなたのことを、心にかけてくださり、思っていてくださり、考えていてくださいます。

一方で、その神に近づくのは、あなたがすることです。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます。どんなことであっても、求めることです。もちろん教会や交わりのことも。そうすれば、あなたのことを深く思っていてくださる神が、あなたの必要を満たしてくださいます。

素朴に、神に求めてみてください。「私を、あなたのことばで養われ整えられる教会へと導いてください。」と。



主イエスの恵みと平安があなたの上に豊かにありますように!
ジーザス・コミュニティ牧仕
桜井 知主夫

PS 素朴なコメントや質問、歓迎します

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