結婚二十五周年記念に、北海道旭川に行き、三浦綾子文学記念館にて、三十五年振りに光世さんと交わる機会が与えられた。 そのことを、心から神に感謝しています。 そのとき、さらに詳しく三浦綾子さんについて知ることができ、二つのことを思わされました。
1.三浦ご夫妻が、よく聖書を読まれていたこと(新約聖書入門)
「どんな人であっても、一生に一度や二度、
うめくような悲しみや苦しみにあうことがあるのではないか。
もし、そうしたときに、聖書を知っていたならば、
その苦しみや悲しみは、単なる苦しみや悲しみに終わらず、
もっと別の意味を持つかもしれない。」
と、綾子さんが言われていたように、聖書(神のことば)にあって人生に向き合っておられたことを知って励まされました。
イエス・キリストは「別の意味」を持つことについて、
また、私たちが物事に対して思い違いすることについて次のように言われています。
「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。」
(マタイ22章29節 )
私も、もっと聖書と神の力を知りたいと、心から願っています。
2.キリストを証ししようとされていたことです。(三浦綾子・信仰と文学)
「文学をする人はよく信仰にとらわれないで書け、
というようなことをおっしいますけれど、
私は自分をキリストの宣伝屋だと思いたいのです。
ひとりでも多くの人にイエスさまのことを伝えられればそれでいいのです。」
「私は信者であるがゆえに『証詞』を書きたかったのである。
...私が『証詞』の文字を書き続けることのできるよう、
私と、多くの魂のために祈っていただきたいと願っている 」
と、綾子さんが書いているように、キリストを証しされていたことに共感を覚えた。そこがブレなかったからこそ、多くの読者に訴えかける内容が尽きることがなかったのだと思う。そして、神は、ご自分が彼女に与える内容を、他者に伝えるこを助けられたのだと思う。
イエス・キリストは、ご自分を証しすることについて次のように言われている。
「しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、
わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。」
(マタイ10章33節)
私も、もっとイエス・キリストを証ししたいと、心から願っています。
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